活動日誌

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「社会保障・障害者・教育・文化」の記事

 IMG_2133.JPG様々な戦いの課題で、国民の声が押し寄せ来ます。午前中は全国から集まった業者婦人の皆さんとの懇談会。議員会館の広い講堂に集まった皆さんから、消費税増税やめてんか、所得税法56条は廃止してと熱い訴え。日本共産党国会議員団から多数参加し、国民民主党、社民との議員の参加も。共闘の広がりを感じます。

 その後、新宿駅西口へ。今日は国連の核兵器廃絶国際デー。東京の被爆者団体+東友会と東京原水協が新宿西口で取り組んだ宣伝署名活動に参加。青いタスキをつけた26人の被爆者をはじめ70人が参加。核兵器の廃絶へ被爆者国際署名を呼びかけました。

 IMG_2135.JPG宣伝カーからは被爆者と共に国会議員も訴え。立憲民主党から初鹿衆院議員、塩村参院議員、日本共産党から山添参院議員と私がお話しました。この課題でも共同の進化を感じました。

 私はまず、エクアドルが核兵器禁止条約の27番目の批准国になったといううれしいニュースを紹介1953年に作られ、今新たな注目を受けている映画「ひろしま」が、核兵器が人類と共存できないことを迫力をもって描ているとのべ、核兵器の悲惨さを一番知っているはずの日本政府が核禁条約に背を向けていることを批判。

 また、先日参加したカザフスタン大使館主催の国際会議で、旧ソ連時代にセミパラチンスク実験場で456回もの核実験が行われて被害を受けた同国が、「最も深刻な脅威」として核実験場を廃止し、核兵器も廃棄したことを強調していたことを紹介。

 同国が核兵器禁止条約の26番目批准国になってことも紹介して「本来、唯一の戦争被爆国である日本はこういう役割を果たすべき」と日本政府も条約に参加するよう改めて求めました。

 国会に戻り、静岡県民医連の皆さんの「介護ウェーブ国会要請行動」に応対。介護現場の実情と要望をお聞きしました。続いて、参院の立憲民主党、国民民主党、社民党の新しい共同会派の役員の皆さんの挨拶を山下議員団長、田村国対副委員長とともに受けました。議員会長は長浜さん、幹事長に大塚さん、国対委員長に芝さん。いっそうの共同の強化を確認しました。

 トリエンナーレ.jpg続いて国会対策委員会。17:30からは、愛知トリエンナーレへの補助金を文化庁が全額不交付にすると発表した問題で、本村、吉良議員と共に文化庁の担当者を呼んで抗議し、説明をうけました。「展示内容ではなく手続が不適切だった」と説明しますが、まったく説得力なし。犯罪行為である脅迫によって展示を困難にした側に文化庁が加担したといわれても仕方がありません。

 夜は国会近くのホテルで中国建国70周年祝賀会に参加。

 

19戦争展.jpg 昨日は、京都で平和を求める展示会をはしご。まずは、40回目の「平和のための京都の戦争展」。立命館大学の国際平和ミュージアムで開かれています。久しぶりに常設展にも入館しました。

 広島の基町高校生の描いた「原爆の絵」には母校・広島国泰寺高校(当時は広島一中)の惨状を描いたものもありました。

 続いて、34回目の「反核・平和のための小品展」。ここで、先日、肖像画を描いてもらった京都被爆二世・三世の会の増田正昭さんが出品されていた広島の風景画の中から、「原爆の子の像」を購入しました。

 小品展.jpg母と子の像は、2歳で被爆し、その後発症した白血病からの回復を祈りながら病床で折り鶴をを作り続け、12歳で亡くなった佐々木偵子さんの同級生らが募金活動を行い、平和公園の中に建立されたもの。

 原爆で亡くなった子どもたちを慰霊するこの像が建立された1958年5月5日は、私の誕生日でもあります。高校時代にはそのことを知らなかったのですが、当選してから平和祈念式典に参列した際に、説明文を読んで驚きました。

 この像と同じ日に生まれた――像に込められた、核なき世界、平和への思いを受け継ぐために自分は生まれてきたのだと震えがくるような思いでした。その思いを日々、かみしめながら四期目の国会活動を行うために議員会館の部屋に飾ります。

 夜は鴨川河畔の納涼祭り。各県の県人会の模擬店が並び、京都広島県人会で役員の皆さんにご挨拶し、むお好み焼きをいただきました。

 投開票された向日市議選では定数20で6人が全員当選し、日本一の議席占有率30%を維持。勝山市議選でも2人とも当選。\(^o^)/ \(-o-)/

 

 19.6震災対策.jpg新潟県村上市で震度6強となった地震について日本共産党の対策本部を今朝、立ち上げました。小池書記局長が本部長、藤野、高橋、田村衆院議員、紙参院議員と私が副本部長。武田参院議員が事務局長を務めます。現地調査を含め、至急被害実態を把握することなどを確認しました。

 その後、本会議。児童虐待防止法案の討論・採決が行われました。野党四会派が賛成討論に立つという珍しいケースになりました。野党案を取り入れて一歩前進したものの、課題を多く残されていることを示しています。日本共産党から倉林議員が登壇しました。

 14時からは動物愛護議員連盟の総会。今日は丁度、先日成立した動物愛護法の公布日でした。法改正までの活動の報告とともに、今後の活動についても提案されました。

 15時から党首討論。各党が年金問題を取り上げましたが、全体で45分で志位さんは5分半。あまりに短すぎます。その中でも、志位さんが練りに練って年金底上げへ財源提案をしたのに、総理はまったくかみ合わない答弁。国民の不安、怒りにまともに答えない姿勢が浮き彫りになりました。

 終了後、参院野党国対委員長会談が開かれ二つの決議案を提出することを確認しました。 一つは、参院規則に基づく野党の予算委員会開催要求に応じない金子予算委員長の解任決議案。二つ目は、老後生活に2千万円不足とした金融庁審議会の報告書受け取りを拒否し、政権に不都合な事実を覆い隠そうとしている麻生蔵相の問責決議案です。

 IMG_0410.JPG夜は安保法制強行後45回目の「19日行動」。18:30から開かれた国会議員会館前行動に他の野党の皆さんと共に参加。  今日の党首討論での年金問題にまともに答えない総理の姿勢に怒りの声が上がりました。日本共産党を代表して挨拶し、参院選での共闘勝利で安倍政権終りにしようと呼びかけました。

 若者憲法集会.jpg東京で昨日開かれた「若者憲法集会」に参加した、新潟と静岡の皆さんが事務所に要請に来られました。集会には1000人、デモには1500人が参加。デモの方が人数がふえるのがさすが若者です。

 改憲反対の要請書と共に、両県で取り組んだ若者生活実態アンケートの結果ももらいました。ブラックな働き方や年金について心配している姿が浮き彫りに。若者に希望が見える政治への転換は待ったなしです。

 午後から全大臣出席、テレビ中継入りの決算委員会総括質疑が行われ、日本共産党から小池書記局長が質問に立ちました。今日、最大の議論になったのが先日の金融庁の「老後の生活のために年金では足りない、2000万円貯蓄を」という発表。「100年安心の年金だったのではないか」と批判が相次ぎましたが、安倍総理はまともに答えず、時間稼ぎに終始。改めて予算委員会を開き十分な時間をとって審議することが必要だと浮き彫りにしました。

 夜は議員団会議。

 IMG_0168.JPG愛知の保険医協会の皆さんが「保険でより良い歯科医療実現を求める要請」に来られ懇談。歯と口腔の健康が全身の健康に深く関係することが明らかになっていますが、格差と貧困の拡大の中で、治療を見合わせざるを得ない事態も。

 子どもが定期健診で不正咬合といわれて矯正歯科をすすめられ、保険適用がなく100万円もかかるといわれ愕然とし、「ごめんな。お金ができたら必ず連れて行くから」としか言えなかったというお話もお聞きしました。「保険でより良い歯科医療を」――切実な問題です。請願署名をしっかり受け取りました。

IMG_0164.JPG 正午過ぎから、院内で開かれた「安倍総理『審議拒否』するな! 予算委員会要求 野党合同院内集会」に参加。六党・会派の国対委員長から、参院選前に争点となる山積みする課題の議論から逃げることは許されないなど挨拶。最後は「審議拒否するな!」とシュプレヒコール。

 明日の本会議での防衛大綱に対する質問の準備をし、夕方に通告。冒頭、「総理は予算委から逃げるな!」と迫ります。

19.5 宗教者.JPG「平和を作り出す宗教者ネット」の皆さんの昼休み国会前行動で挨拶。月一回の行動は16 年目に入ったとのこと。皆さんの粘り強い行動と国会内の立憲野党の共同で、与党が今日狙っていた衆院憲法審査会の開催は許さなかった」と報告すると拍手がおこりました。

 今国会での自民党改憲案の審議入りを許さぬよう国会内で頑張るとともに、参院選で改憲許さぬ審判が決め手だと強調。一人区での候補者一本化や野党の共通政策がほぼまとまったことも報告すると、また拍手がありました。力あわせよう!

 19.5.23 きょうされん.JPG午前中は京都のきょうされんから共同作業所のなかまや職員の皆さんが請願署名をもって来訪され、懇談。障害のある人が65歳をこえたら解雇補保険優先原則になることの問題点や、深刻な人手不足の解消のための職員の労働条件改善の必要性など、現場を声をお聞きすることができました。

 午後には、国際連帯税について外務省、デジタル課税について財務省からそれぞれレクを受けました。

米軍火薬輸送.jpg 午前中は外交防衛委員会で質問。在日米軍の弾薬や火薬の輸送を委託されている運送会社の元従業員の告発をもとに、火薬積載の表示板を外しての運行や、標示板を外し見張りを付けないままの駐車、届け出なしのルート変更などの法令違反を指摘。

 警察庁に対し、調査を行うと共に、周辺住民に不安や危険を与えることのないよう、法令順守への措置を求めました。

 歯科医療.jpg午後には、愛知県保険医協会の斎藤みち子副理事長が来訪。「保険でより良い歯科医療の実現を求める要請」を受け取り懇談しました。

 前進はあるものの、一般的に行われている治療でも保険外のものも多いこと、貧困と格差の拡大の下、学校の検診で指摘されても治療ができない子どもの口腔崩壊の事態も深刻とのお話をお聞きしました。

 超党派の議員連盟で議論している「読書バリアフリー法案」の早期成立を求めて、日本盲人会連合の橋井常務理事らが来訪され、懇談しました。昨年の国会で視覚障害者等の読書機会を促進するための「マラケシュ条約」について質問したことでこの問題にかかわってきました。

 改めて要望を伺うとともに、取り組みの状況や読書機会促進への様々な課題を前進させることや、そのための協議の場を作ることの重要性などについてお話し、早期実現への努力をお約束しました。

 10時から倫理選挙特別委員会が開かれ、選挙執行経費法改正法案の趣旨説明を聞きました。質疑は来週の水曜日になります。

 明日の外交防衛委員会で、米軍の自由勝手な訓練飛行と日米地位協定の改定の問題について質問するため夕方には通告しました。

 

 IMG_9048.JPG全日本民医連の皆さんの国会行動が行われ、長野民医連から四月に就職したばかりの新入職員3人を含む代表の皆さんが議員室に来られ、要請書をうけとって懇談しました。飯田市にある医療法人健和会の職員の皆さんの声をまとめたものもいただきました。

 多くの職員の皆さんが職場での人手不足の中で必死で働き、一方、経済的理由での受診抑制で悪化される患者さんの実態を見て、社会保障をなんとかしてほしいとの叫びが満載。しっかり、国会での取り組みにいかしていきたいと約束しました。

 IMG_9046.JPG午後はJMITU中央本部の皆さんの「春闘最終盤勝利中央行動最終盤デモ」を激励。今日の東京は昼間でも五度という真冬の寒さ。冷たい雨が降る中のデモ行進に熱い声援を送りました。

 19.3.28外防.jpg外交防衛委員会で京丹後市米軍レーダー基地問題を質問しました。これまで防衛省は、地元との合意に基づき、米軍関係者による交通事故について速やかに日時や地域、概要を報告してきました。ところが、昨年2/28の「安心安全連絡会」以降、一年にわたり報告がなく地元自治体も繰り返し報告を求めてきました。

 そうした中、先週3/19の連絡会で防衛省は突然、「今後は重大事故を除いて具体的内容は控え、事故件数のみを報告する」と発表し、地元住民から「約束と違う」との声が上がってきました。

 その経緯をただすと、防衛省は、「昨年2月の連絡会以降、米軍から、軽微な事故まですべて報告するのは適当でないとの申し出があり、これを踏まえ、他の地域における事例や、事件事故発生時の通報手続きにかかる日米合同委員会合意との関係を整理したうえで、米側と協議をしてきた。その継続中は報告に時間がかかったが、このほど協議がまとまったので3/19の連絡会でこのような形で報告した」との答弁。
 米側からの申し出であったことを初めて認めました。

 また、「重大な事故」の基準は何で、誰が判断するのかとの問いには「日米合同委員会合意に基づき、第一義的には米軍が判断する」と答弁し、米軍まかせであることも明らかになりました。

 さらに岩屋防衛省が、事故の報告について「明確な合意があったとは承知していない」とも述べました。

 これらは、同基地の設置に関する経緯を全く無視したものです。米軍基地設置への住民の不安が広がる下で、住民、自治体、米軍、防衛省などで「安全・安心連絡会」が作られ、その規約には「地域住民の安全と安心を確実に実現することが大前提に求められており、我々はあらゆる努力を行うと誓う」と書かれています。

 同連絡会の場で、米軍関係者の交通事故について、自治体から軽微な事故であっても報告するよう求め、昨年二月まで報告されてきたものです。
 それを、アメリカ側の申し出だからと言って、一方的に反故にすることなど許されません。

IMG_8786.JPG 岩屋防衛大臣に対し、従来通り速やかに事故概要を報告するよう強く要求。大臣は「改善の余地があるかどうか検討したい」とのべました。

 午後から、ハンセン病家族訴訟の原告団、弁護団の皆さんと日本共産党議員団との懇談会に出席しました。国の隔離政策を断罪した熊本地裁判決をうけ、衆参両院での謝罪決議やハンセン病補償法の制定が行わてきました。その中で、私も、ハンセン病療養所入所者の皆さんとはは何度も懇談してきました。

 しかしながら、ハンセン病病歴者の家族の方々の受けてきた偏見差別による苦しみについて直接お聞きするのは初めてのこと。要請書を受け取った後、名前も公表できない原告の方々が受けてきた被害についての訴えをお聞きし、これまで、この実態を知る事のなかった自らを恥じる思いでした。

 原告からは、家族も隔離政策の被害者であり、学校で、「修学旅行で一人だけ押し入れで寝さされた」「風が吹くと風下に席を移された」などの差別やいじめを受け、結婚や就職でも差別されたこと、それを恐れて病歴者家族であることを秘密にしてきたことなど語られました。

 同時に、自分が差別を受けるのは親がハンセン病だったからだと、自らが親に偏見を持ち、ゆがめられた親子関係のままだったことを悔やむ思いも吐露されました。重い、重い訴えでした。

 私はその場で、「ご家族の皆さんのこのような被害を知りませんでした。家族の被害を放置したきた点で国会にも責任があるという、ご指摘を重く受け止め、今後取り組んでいきたい」と述べました。

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