「被爆者の心を踏みにじるものであり許されない」――被爆二世、被爆地関係の日本共産党国会議員6人で佐野軍縮大使の国際会議での発言に対し抗議の申し入れをしました。
12/8の第三回核兵器の人道的影響に関する会議において佐野利男軍縮代表部大使が、核兵器の爆発時には「対応できないほど悲惨な結果を招く」との見方について「悲観的過ぎる。少し前向きにみてほしい」と発言したもの。被爆者や被爆地から厳しい怒りの声が広がり、16日に岸田外相が佐野大使に対し、「わが国の立場に誤解が生じた」として注意をしています。
申入れには、被爆地選出の大平、田村、真島各衆院議員、仁比参院議員、被爆二世である本村衆院議員と私の6人。 私からは「核兵器の使用を前提した発言であり、許されない」と抗議し、それぞれが、「広島に生まれ育った。被爆者の皆さんと座り込みもしてきた。被爆者願いは核兵器廃絶以外にない」(大平議員)など厳しく批判しました。
応対した外務省の引原毅軍縮不拡散科学部長は 「核兵器は将来二度と使用されることがあってはならない立場だ。外相が直接注意したが、今日の申し入れは外相に報告する」と対応。
参加者は被爆の実相を世界に広げ、核兵器の廃絶を緊急の課題としてとりくむことこそが日本政府の役目だと繰り返し求めました。
午後の本会議で閉会中審査の確認など行い閉会。控室で議長の挨拶を迎えた後、参院選挙制度協議会。一票の格差の是正のための参院選挙制度の抜本改正について議論を重ねてきましたが、自民党からは最後まで微調整で済ませようという議論が出され、結局、各党の案を並記する報告書を確認するにとどまりました。今後、議長の下の選挙制度検討会で議論となります。
夜は京都に戻り、遅めのクリスマス。
朝の国対の後、17時前まで外交防衛委員会。私は江渡防衛大臣の政治資金問題と日米ガイドライン中間報告について質問しました。
防衛相が代表の自民党青森県第二選挙区支部に、政治団体届をしていない「政経福祉懇話会」が10年間、毎年300万円もの寄付をしています。同懇話会は、百以上の大臣の支持企業による団体。「これでは懇話会を隠れ蓑にした企業献金だ!」 と追及しました。
委員会終了後、裁判官訴
追委員会に10年ぶりに出席しました。国民からの訴追請求を受け、裁判官の弾劾裁判所に対し、裁判官罷免の訴追を行う機関です。衆参20人の議員で構成され、私は予備員ですが今日は繰り上がりでの出席となりました。三権分立を実感する場です。
10日は朝の国対会議の後、打ち合わせやデスクワーク、質問準備などなど。13:30から政治資金規正法について総務省レク。17:00から法案審査会と議員団会議でした。
11日は国対の後、10時から外交防衛委員会の理事懇談会。木曜日に一般質疑を行うことを決めました。その後は来客対応をしながら明日の原子力特の質問準備。16時に通告を済ませ、続いても木曜日の外防委の質問準備。
昨日から国会内では解散の話でもちきり。解散風はどんどん強まっています。18:30から取り組まれた「戦争させない・9条壊すな!11.11 総がかり国会行動」に参加し、官邸前で「300議席を持つ与党が任期半ばで解散を口にするのは行き詰まりを示している。安倍内閣打倒の審判下そう」と駆けつけた多くの市民に挨拶しました。
西舞鶴駅前のホテルを朝出て、今日告示の舞鶴市議選の後野和史、小杉えつ子、井田悦子(以上現)、石束えつこ(新)の四候補と雨の中5か所で街頭演説。日本共産党の3から4議席への前進を訴えました。
舞鶴市には海上自衛隊基地があります。集団的自衛権行使で「殺し殺されること」になり、市民である自衛隊員がアメリカの行う戦争で命を失うのは許されません。「かつて『岸壁の母』の街だった舞鶴で、今度はアメリカの戦争での犠牲者を岸壁で待つようなことはあってはならない」と閣議決定の撤回を訴えました。
日本共産党の「自衛隊員の命を全力で守ります」の訴えと大看板に反響が広がっています。東舞鶴駅前で特急の時間ぎりぎりまで訴え、駅弁を買って飛び乗りました。今、東京に向かっています。
5日は、8:15からの国対会議の後、10時から本会議。土砂災害に関する法改正の質疑。辰巳コータロー議員が質問立ちました。午後から、表現の自由の問題での意見交換。外交防衛委員会理事懇、地方創生問題での論戦会議と続きました。
6日は、日豪EPA承認案件の質疑。午前中に外交防衛委員会の質疑の第一ラウンドが行われ、園遊会をはさんで15:45から農水委員会との連合審査。その後、再び外交防衛委員会の質疑と変則的になり、終了は19:20になりました。
初めての農作物輸出大国とのEPAで、特に北海道の酪農に重大な打撃を与えます。連合審査に続いて外防委員会でも紙さんに質問に立ってもらいました。日本農業を守る立場からの質問は際立ちました。
外交防衛委員会で質問。先週は片山さつき委員長が政府答弁資料を見ながら運営していたことで委員会が途中で散会。その時の分も含め50分の持ち時間。冒頭、片山委員長に辞任を求め、防衛相の政治資金問題や日米地位協定の環境補足協定問題など質問。ガイドライン中間報告の質問は時間切れでできず。
京都市伏見区の久我の森小学校で議会報告演説会。上原ゆみ子前府議、赤坂仁前市議と一緒に訴えました。参加したお母さんから市内一のマンモス中学校となっている同地域で、教育要求実現への期待が語られました。がんばろう!
終了後、丹後の米軍基地建設に関わって日米地位協定について京都民報の取材。新幹線で東京へ。
片山さつき外防委員長が政府の答弁資料を持って委員会運営をしていたことで水~金曜日、断続的に理事懇談会が行われました。委員長、委員部、外務省、防衛省からそれぞれ事実関係を聞き、認識をただしました。
委員部から「前例がない」と言われても、答弁資料を要求した片山委員長の行為は立法府と行政府との関係からあってはならないことであり、公平・中立な運営をするべき委員長としてもあるまじきことです。協議が続いたため、木曜日の委員会は開催されませんでした。
東京を朝出て、新幹線と在来線で4時間半。三重県南部の尾鷲市での国政報告会で1時間の講演。同市は参院選での日本共産党の得票率が県内最高でしたが、その直前の市議選で候補者を立てられず議席空白になりました。安倍強権政治とのたたかいを強めながら、次回市議選で必ず議席回復をと訴えました
昨日は午後から、地方創生の論戦会議。その後、外防委員会の理事懇談会。夜は議員団会議。
今日は、 参院外交防衛委員会の一般質疑で14時過ぎに質問する予定でしたが、その直前に、片山さつき委員長が政府の答弁書を持って運営していたという驚くべき事実が発覚。緊急の理事会で、片山氏から政府に提出を求めたことを認めました。これでは公正・中立な運営は無理だと散会に。委員長として不適格です。