活動日誌

ホーム の中の 活動日誌 の中の 外交安保・核廃絶

「外交安保・核廃絶」の記事

 京都を朝出て大阪駅近くで開かれた高校の同窓会、「鯉城関西同窓会」の「トーク&昼食会」へ。村上茂樹会長の挨拶の後、恒例のOBによるトークは、S56卒業の天野暢子さんによる「秒速で伝えるプレゼンテーション――テレビに学ぶ5つの技術」。
 ニュース番組の校閲やテロップの製作監修に携わってこられた経験からの①最初に結論②シンプルに③数字を使って④端的なタイトル⑤ビジュアルで示す――というお話は政治家としての訴えにも実に参考になるものでした。
 広島に移動するために乾杯の前に一言あいさつして泣く泣く中座しました。開会前に同窓会の椿幹事長とパチリ。私の二代後の応援団副団長でもあります。
 広島では、笠井、宮本、仁比、岩渕各国会議員、大平元衆院議員、中原一区予定候補、藤井・河村両県議、中村市議と合流。まずは、原爆養護ホーム倉掛のぞみ園へ。耐震改修工事のために同園に引っ越してこられている舟入むつみ園の園長さんからお話を伺った後、入所者の皆さんにご挨拶し記念写真。
 続いて広島県被団協、被爆者相談所の皆さんと懇談。広島サミットでの核兵器を正当化した「広島ビジョン」への憤りの声や、多くの被爆者の遺体が流れ込んだ広島湾での日米共同演習などに対して出された憤りの声に、核廃絶の思いを新たにしました。

 IMG_3752.jpg京都市内で二つの平和の企画に行ってきました。一つは「第38回 反核・平和のための小品展」「第43回 平和のための京都の戦争展」です。ヒロシマ・ナガサキの日、終戦記念日を迎える夏に毎年、続けられてきたもの。

 小品展では様々なジャンルの美術家たちが平和への思いを込めて作品を持ち寄り、戦争展では実行委員会企画の「ウクライナ戦争1年半 現地からの報告」「沖縄南西諸島 急激に進むミサイル基地化」などと共に各民主団体による展示が行われています。

 IMG_3755.jpg明日、明後日は広島に行き、平和祈念式典への参列や原爆特養ホーム、原爆病院への訪問など取り組みます。

 

 

 岩倉南.jpgご近所の光永あつひこ府議に朝、迎えに来てもらい、京都市左京区岩倉南地域で訪問活動。保険証存続、マイナカード押し付けストップの署名のお願いをしながら対話しました。
 岩倉南は人口急増地域。光永府議は岩倉南支部の皆さんとともに新しい住宅への全戸訪問を続け、若い世代の後援会員さんを増やしてきました。その方々を中心に訪問。どこでもコロナ署名は「おかしいですよね」「政府はなぜ、かたくななんでしょう」といいながら、皆さん協力して下さいました。
 対話の中で、「コロナで大変な時、草の根で活動されてたのは共産党の方ばかり。だから信頼してます」「報道見てるとしんどいことばかり。希望を感じたい」などうれしい言葉も。二軒の方が初めて京都民報を購読して下さり、あらなた後援会の入会も。
 午後fは「伏見ピースメッセージ展」へ。戦争の記憶を語り継いでいこうと伏見区の住民らが毎夏、開催しており、今年で11回目。広島の基町高校の生徒が被爆者から聞き取りをして描いた原爆絵の展示も。母校、国泰寺高校の先輩の故・兒玉さんの証言に基づく絵も展示されていました。
非核の会7.20.jpg「非核の政府を求める会」のオンライン事務局会議に参加。昨日、会として行ったNPT再検討会議第一回準備委員会に向けた政府要請の内容など、この間の活動等について報告がありました。
 この間の非核・平和を巡る情勢や原水爆禁止世界大会への対応や国連総会に向けての政府要請等について協議しました。
 岸田総理は国内で大きな豪雨災害が出ているにも関わらず外遊を優先し、昨年に続いてNATOの首脳会談に出席して軍事一体化を強めています。
 同時期に行われたASEANの一連の会合で、核保有国に対し核廃絶を要求し、東南アジア非核地帯条約への署名を求めています。本来、これこれそが唯一の戦争被爆国である日本が求めるべきこと。岸田政権は逆行しています。

 パリ祭.jpg今日はパリ祭。フランス革命記念日です。自宅ご近所の在京都フランス総領事館(旧日仏会館)で開かれた、パリ祭レセプションに倉林議員とともに参加しました。

 ジュール・イルマン総領事は開会のあいさつで、「私たちは自由、平等、博愛という複雑な三部作の価値観を祝います」と切り出されました。

 そして、この三つの価値観が一緒になることがあり、ジェンダー平等に関する場合も当てはまるとし、「女性と男性の平等は女性が望むように行動する自由でもあります。同姓結婚は、誰もが自分のセクシュアリティを生きる自由の表れの一つであり、誰も気傷つけず、異性愛者の平等を確立します」と述べられました。

 乾杯の後、中庭で美味しいワインを片手に交流しました。

 頴展・有吉.jpg午前中は歯医者さん。昼過ぎに東京をでて京都に帰り、市内で開かれている京都AALAの「頴展」に行きました。会場には油絵を展示されている有吉節子元京都市議もおられ、パチリ。

 昨日は、代々木病院で年に一回の人間ドック。今年も、胃カメラはするっと飲めました。(*^^)v

 核兵器禁止条約.jpg今日、7月7日は核兵器禁止条約が採択されて6年目の日。あの日、日本共産党代表団の一員として国連の核兵器禁止条約検討会議に参加し(写真)、採択の瞬間に立ち会いました。その時の感動を思い出します。
 核大国の妨害をはねのけて採択された瞬間、歓声が上がり、長い拍手が続き、みんなが立ちあがりハグが始まりました。採択後の発言で、被爆者の果たした役割への感謝が多くの国から語られました。
 あれから六年、条約は発効しましたが、いまだに日本政府は条約に背を向けています。G7サミット広島ビジョンでは、条約に触れないだけでなく、あろうことから被爆国から核抑止力を宣言するという恥ずべき内容でした。
 日本の参加を求める地方議会の意見書は659に達しました。この声を聞き、条約に参加する政府をつくろう。来るべき総選挙では、国連会議に一緒に参加した広島出身の大平さんの議席回復を中国ブロックからなんとしても。
核禁署名.jpg「核兵器禁止条約参加署名」共同提出(第2次)のつどいに参加。地域・団体の代表の皆さんが参加され、日本政府に現物337,865筆、オンライン署名5,616筆、合計343,481筆を提出しました。これまでの累計は130万4,019筆にものぼります。
 笠井、本村両議員と私の被爆二世の三人でそろって参加しました。山添、宮本(と)、紙、仁比議員も。この声を受け止め、唯一の戦争被爆国として核兵器禁止条約に参加を!

 

IMG_3629.JPG「死の商人国家」に堕落するのか――武器輸出拡大に反対する院内集会に参加し挨拶しました。
 かつては、「武器輸出をせず、輸出を前提として軍需産業もない」から小型武器取引の規制で「国際社会をリードしている」と外務省のパンフでものべていたのに、今や殺傷能力のある武器の輸出にまで踏み込もうとしています。
 「安全保障環境の変化」を理由にしますが、武器輸出の拡大はいっそう安全保障環境を悪化させるものであり、日本が本来果たすべき役割に逆行するものです。力合わせて止めようと呼びかけました。
 午前中、中国社会科学院日本研究所の訪日調査団の皆さんと懇談。同研究所日本歴史研究室の金室長を団長とする四人の研究者による訪問団で、金室長とは六年前にも訪日調査団の一員としてこられた際に懇談しました。
 IMG_3640.JPG五日間の日程で各方面の皆さんと対面交流をされるとのこと。日本の政治社会情勢について様々なご質問にお答えしながら、有意義な懇談ができました。
 OSA集会2.jpg「他国軍への武器無償援助(OSA)を考える院内集会」に参加。NGO非戦ネットの主催です。政府がこれまで非軍事を方針としてきたODAと別枠で他国軍も対象とする経済協力=「政府安全保障能力強化支援(OSA)」の新設を決めたことに反対する集会です。
 大軍拡の予算や財源確保法は強行されましたが、絶対にあきらめないとして、中止を求める市民の運動が続いていることが大きな希望です。
 私はあいさつで、この問題を追及した三月の予算委員会の質疑について報告。政府開発協力大綱で「非軍事的協力によって、世界の平和と繁栄に貢献してきた我が国の開発協力は、戦後一貫して平和国家としての道を歩んできた我が国に最もふさわしい国際貢献の一つであり国際社会の高い評価を得てきた」と述べていることを示し、「ODAと別枠であれ、軍の装備品への無償援助は日本の国際貢献の在り方としては真っ向から反する」と岸田総理を追及したことを紹介しました。
 OSA集会1.jpg今日の集会では「日本国際ボランティアセンター(JVC)」の今井代表が報告されましたが、私の質問でも、この問題でのJVCの声明の「非軍事の国際協力を行う日本に対して多くの国から寄せられた信頼は、日本のNGOにとって現地の活動における支えとなってきました。安保三文書による軍事大国化と国際協力の在り方の転換で日本の信頼を大きく損ねることになる」という部分パネルにして総理に示し、中止を迫ったことも報告しました。
 力を合わせてがんばります。
 午前中は非核の政府を求める会のオンライン事務局会議。同会では数年前から世話人を務めてきましたが、先日の全国総会で事務局に選出され、初めての会議です。総会で確認された年間方針の具体化や次の常任世話人に提案する内容など議論しました。
 23.6.22日本被団協.jpg日本被爆者団体協議会の各党要請行動が国会内で開かれ、本村衆院議員とともに核兵器廃絶や原爆被害への国家補償、被爆者への援護施策の充実などの要請文を受け取りました。
 会場には全国からの参加者があり、私の卒業した広島の国泰寺高校、庚午中学校、古田小学校の先輩の被爆者の皆さんの姿もありました。
挨拶では、被爆地から核抑止力を発信した「ヒロシマビジョン」を歴史に汚点を残した恥ずべき事と批判。小中高の先輩方をはじめとした爆者の思いを胸に刻んで核兵器廃絶や被爆者援護、黒い雨問題の解決にに奮闘することをお誓いしました。
 6.22京都街宣.jpg挨拶後、京都にもどり、京都市内で穀田、倉林議員とともに国会閉会をうけての国会報告街宣。続いて党左京地区の「国・府市会報告会」に光永府議、加藤、富樫両市議とともに参加。「悪法ラッシュ」となった国会の中で、日本共産党が国民と共にたたかって存在意義を発揮し、悪法は強行されたが押し返していく足場を作ったことなどお話し、質疑応答しました。
前の10件 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11

ページ最上部へ戻る