活動日誌

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「外交安保・核廃絶」の記事

 首相.jpgルーマニア2日目。午前中はチョラク首相との面会。午後視察したウクライナ避難民支援センターは、NHCRが中心になり、WHOやユニセフなど国際機関、NGO、ルーマニア政府機関などが支援を行っています。避難民向けのワンストップサービスで登録、就労や教育、医療、現金給付などを行っています。
 この間のべ195万人のウクライナ避難民が入国していますが、言葉の関係等もあり、残留しているのは約7.8万人とのこと。それぞれの団体からご苦労や課題をお聞きしました。資金不足が問題になっており、日本のこの間の支援への謝意と共に要望もいただきました。
2ユニセフ.jpg 隣接するブカレスト市の生活必需品の配布所も視察。ここでウクライナで日本語教室の先生していたという女性の避難民にお会いしましたが、日本の漫画がきっかけで、日本語を勉強したとのこと。
 首相との面会の前にオポール市場を視察。野菜や果実が豊富で、肉、魚、日用品など巨大な市場。庶民の生活の一端がわかります。午後には、日本のODAで行っている地下鉄の工事現場の視察。夜は在留邦人の方々らとの夕食会。商社や製造業、日本人学校、避難支援のNGO、旅行会社の方々らから様々お話を聞けました。
  チウカ首相2.jpg長浜博之参院副議長一行の一員としてルーマニアの首都、ブカレストに来ています。羽田からフランクフルト経由で昨日の深夜に到着。ロシア上空を飛べないので、大回りとなり、宿舎を出てホテルまで約24時間かかりました。
 今日は午前中、片江学巳在ルーマニア大使から現地情勢のブリーフィングを受け、午後から議会宮殿内でチウカ上院議長と面会しました。チウカ議長は前首相で、12月に行われる大統領選に国民自由党の代表として立候補を表明されています。
 議会宮殿.jpg日本とルーマニアは伝統的友好関係にあり、チウカ議長からは日本のODAへの謝意があり、会談の中で両国の経済関係の強化や文化交流のいっそうの発展が語られました。
 ウクライナ支援も重要な話題に。同国は避難民の積極的な受け入れを行い、ウクライナの穀物の輸出の6割は同国経由となるなど支援を行っています。日本は国際機関や日本のNGOへの人道支援を行ってきました。
 議会宮殿は行政府と建物として世界第三位の大きさ。チャウシェスク大統領の時に着工されたもので、権力誇示のためと言われています。体制転換後、一時放置されましたが、工事が再開されて完成し現在は上下両院の他、会議場や展示場、コンサートホールなどにも利用されています。
 462536761_1232700518002251_416161802776081397_n.jpg面談後、旧市街地を視察。美しく保存された建物と魅力的な石畳の道が続き、歴史的な建物の正ルーマニア教会もあります。「世界で最も美しい書店の一つ」と言われている書店に行くと、日本の漫画がずらり。日本漫画・アニメの同人会が参加する今年の催しの来場者数は6万人で、コスプレの人も多数あったとのこと。すごい人気です。
 夕方に時差ボケから強烈な眠気に襲われましたが、何とか乗り切り、夜は上院議長主催の夕食会。副議長や環境大臣、上院事務局長の皆さんらも参加くださいました。ウクライナ問題でさらに突っ込んだ意見交換ができ、予定を大幅にオーバーしました。
 明日、9/1から長浜博之参院副議長一行の一員としてルーマニア、スロバキア、ポーランド各共和国を訪問し、各国の政治経済事情を視察します。12日に帰国します。
 各国の国会議長・副議長、外務委員長との会談やウクライナ避難民の支援施設の視察、商工・文化関係者との懇談、日本との友好議員連盟や在留邦人の皆さんとの懇談を行い、アウシュビッツ強制収容所も視察します。
 昨年は副議長一行としてバルト三国を訪問し、旧ソ連、ドイツの抑圧下にあった歴史を持つ各国が「明日の我が身」の思いでロシアによるウクライナ侵略に危機感を持って支援を行っていること各地で聞くことができました。今回の三国には立場の違いもありますが、現地の状況をしっかりつかみたいと思います。
 台風10号による今後の被害が心配ですが、有意義な視察にするために、今日は、議員宿舎で渡航準備をしながら、関係の本や資料を読み込んでいます。
 一行は長浜副議長と与野党各会派から松山政司(自民) 、斎藤嘉隆(立憲)、谷合正明(公明)、榛葉賀津也(民主)各議員と私です。現地から、できるだけ発信しますのでご覧ください。
 原爆と人間.jpg暑い~と叫びながら動いた一日。午前中は京都六区の城陽市、宇治市でそれぞれ演説会。堀川明子比例予定候補、かみじょう亮一六区予定候補らとともに訴えました。
 終了後、名古屋市の金山駅コンコースで行われている「戦争と人間」展へ。高校生が被爆者の証言を聞いて書いた「原爆の絵」に多くの足が止まり、じっくり見つめる若い人の姿も。部活の試合の帰りで真っ黒に日焼けしたの男子高校生三人が案内ビラを配ってくれました。うれしいなあ。
 兒玉さん.jpg高校の先輩(旧制広島一中生)の兒玉光雄さんの証言による絵も三枚ありました。倒壊した一中の校舎から脱出した兒玉さんが学友たちを助けようと必死の努力をしたときの絵。
 そのあと、名古屋から米原、敦賀と乗り換えて金沢市へ。石川県医療労働組合連合会50周年祝賀会に出席しました。冒頭、輪島市名舟地区に伝わり、県の無形文化財に指定されている御陣乗太鼓が演じられました。
 能登半島地震で集落全体が避難をしましたが、太鼓の道具は真っ先に避難させたとのこと。絶対に復興し、次世代につなぐという魂にあふれた太鼓でした。
 石川医労連.jpg南雅子委員長のあいさつで始まり、乾杯した後、全国や石川県内の各界からの祝辞。日本共産党から佐藤県議、鐙輪島市議が参加し、私が代表してあいさつしました。コロナ禍でも能登半島地震でも住民の命を守って大奮闘し、「再び白衣を戦場の血で汚さない」と運動の先頭に立ってきた医労連の皆さん。感謝と期待の声が相次ぎました。 最後は南委員長の音頭で「ガンバロー」を参照しました。
 明日は朝から能登半島地震の被災地に入ります。

 24.8非核の会.jpg今日は「非核の政府を求める会」のZOOMによる事務局会議。原水爆禁止世界大会の成果や核抑止力論を厳しく批判した広島・長崎の市長の訴えの重要性、自民党の総裁選めぐる情勢などについて議論し、国連総会に向けた政府申し入れの内容な今後の取り組みなど常任世話人に提起する内容について確認しました。

 朝は歯医者。夕方、京都へ。

 24.8八幡.jpg京都府八幡市で開かれた、やわた「平和つどい」に参加。会場一階のミニギャラリーでは、広島市立基町高校の生徒たちが被爆者の証言を聞いて描いた「原爆の絵」が展示されています。
 同校の卒業生の方が、描いた時の思いや苦労を話してくれるという企画を楽しみにして参加したのですが、急遽来れなくなったとのこと。残念ですが、スタッフの方が本人が用意されていた原稿を読み上げて下さり、思いはしっかり伝わってきました。
 私も一言「基町高校の隣の国泰寺高校を卒業しました。被爆した先輩の証言に基づく絵も描かれています。被爆二世として核兵器廃絶にがんばる」と発言させてもらいました。
 小畑.jpg会場には、京大の大先輩で、戦後直後に全国で初めて学生自治会による「原爆展」を開催し、昨年のNHKの「歴史探訪 消えた原爆ニュース」でも大きくとりあげられた小畑さんにお会いしてお話することができました。97歳になられましたが、とてもお元気そうでした。
 小畑さんについては、昨年、非核の政府の会のニュースに書きました。ご覧あれ。https://www.inoue-satoshi.com/newspaper/2023/10/nhk231015.html
 24献花.jpg被爆79周年の8月6日。早朝に原爆慰霊碑に献花。田村智子委員長、国会議員団、広島の皆さんとご一緒でした。
 その後、母校・広島国泰寺高校の一中原爆犠牲者追悼の碑、平和記念式典、核兵器廃絶世界大会広島デーと核兵器廃絶への国を超え、世代を超えた願いと運動を交流し、核兵器廃絶への確信と誓をいっそう固めた一日でした。
 24国泰寺.jpg平和記念式でも世界大会でも、核廃絶を「夢物語」として、安全保障のために核軍拡を進める核抑止力の現実性が大きく問われました。記念式の市長の平和宣言や知事、国連事務総長の挨拶でもそのことに触れ。ウクライナやガザなど核兵器使用のリスクが高まる現実こそ直視し、核兵器廃絶を求めるものでした。
 岸田総理の挨拶は、核抑止力に依拠する立場で、核兵器禁止条約にも触れない空虚なものでした。
 式典での小学生の誓いや世界大会での高校生をはじめとした若者たちの発言は、核兵器無き世界への希望を大きく広げるものでした。大会では田村委員長が挨拶。国会議員も壇上で紹介され、最後は恒例のフィナーレ。
庚午中.jpg 世界大会での発言した広島と愛知の被爆者団体の各理事長の佐久間さん、金本さんは広島市立庚午中の同級生で私の先輩。思いを一つスリーショットをとりました。

 原爆病院.jpg明日の8/6を前に広島原爆養護ホーム「舟入むつみ園」、第二日赤原爆病院、広島県被団協を訪れ慰問と懇談。被爆者が高齢化されている中、被爆の実相と核兵器の非人道性を次世代に語り継ぐ大切さがどこでも語られました。「非核の政府を求める会」の交流会にも参加。

 24鯉城関西.jpg大阪市で開かれた広島国泰寺高校の関西同窓会の「トーク&昼食会」へ。午後は、京都の「鴨川納涼」で広島県人会の皆さんと語らいました
 同窓会の冒頭、前身の旧制広島一中の原爆犠牲者に黙祷を捧げました。先週、母校の正門横の「一中原爆犠牲者追悼の碑」で行われた式典の報告もありました。94歳の大先輩は被爆当時の一中の二年生。建物疎開の作業のために登校してい一年生や勤労動員で市内の工場にいた二年生はほぼ全滅したが、市外にいた自分は生き残ったとして「先ほど黙祷を捧げたが、自分が捧げられる側になったかもしれない」と語られました。​
 私もトークに立ち「原爆犠牲者に黙祷を捧げ、追悼式の様子や先輩のお話を聞くと、核兵器のない世界を作ることがこの同窓会出身の国会議員である私の使命だと改めて実感した」とお話しました。
8.3.jpg「自民党ひどすぎる。がんばってや」と先輩方から声をかけていただきました。明日、明後日は広島に行き、平和記念式典や原水爆禁止世界大会に参加し、母校の「追悼の碑」にも立ち寄ります。
 京都に帰り、夜は「鴨川納涼」へ。猛暑の中ですが、河川敷には時折風も吹き、すごい人出でした。各道府県人会のテントもずらり並びます。広島県人会のテントでお好み焼きをいただきながら、県人会の役員の皆さんらと語らいました。

 IMG_5086.jpg午前中は歯医者で虫歯の治療。閉会中に体のメンテナンスも大事です。午後から京都にもどり立命館大学の国際平和ミュージアムでの「平和のための京都の戦争展」に行きました。

 長年、実行委員会の皆さんがこの会場で開いてこられましたが、建物のリニューアルのためにここ数年は場所を変えての開催でした。入口には「わだつみ像」があります。やっぱり戦争展はここ。

 展示では、戦争中の京都の軍事施設や戦争推進ポスターなどと共に祝園弾薬庫の強化など、岸田軍拡のもとで京都ですすむ戦争する国づくりの実態や反対する住民の運動が紹介されていました。

 

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