ノバァツキ学長らとの懇談に続き、日本文化学部長や学生と懇談。「なぜ日本を」と聞くと「日本語の美しさにひかれた」「アニメがきっかけ」「日本人が好き」などのうれしい返事でした。
続いて、在留邦人によるワルシャワ及びウクライナ商工会との昼食会。ウクライナ商工会の皆さんは赴任しても入国できず、ワルシャワから現地従業員を指揮されています。キーウの暮らしや経済の状況、ロシアとの停戦合意をしてもプーチンが守るのか、などの市民の生の声、日本が復興で貢献すべき分野などをお聞きできました。
1320年から約200年間、ポーランド王国の首都として栄えた街。第二次世界大戦では奇跡的に戦火を免れ、ヴァベル城はドイツ占領時に総督府の本部となりました。この城を含む旧市街は最初に登録された世界遺産の一つで、中央広場はヨーロッパで一番の広さです。
夜は在留邦人の皆さんとの夕食会。様々なご苦労や課題をお聞きしました。
その上で、米国のイラク侵略やNATOのユーゴ空爆は国際社会の批判が弱かったとのべて「判断基準が違ってはならない」と強調されました。委員長主催の昼食会にもお招きいただき、さらにさまざまな問題で意見交換ができました。
昼食会後にはUNHCRのスロバキア事務所を訪問してウクライナ避難民支援のご苦労や課題、要望をお聞きしました。ウクライナの成人男性は国外に出られないので避難民の81%は女性と子どもです。
夜は在留邦人の方との夕食会。
この間のべ195万人のウクライナ避難民が入国していますが、言葉の関係等もあり、残留しているのは約7.8万人とのこと。それぞれの団体からご苦労や課題をお聞きしました。資金不足が問題になっており、日本のこの間の支援への謝意と共に要望もいただきました。
首相との面会の前にオポール市場を視察。野菜や果実が豊富で、肉、魚、日用品など巨大な市場。庶民の生活の一端がわかります。午後には、日本のODAで行っている地下鉄の工事現場の視察。夜は在留邦人の方々らとの夕食会。商社や製造業、日本人学校、避難支援のNGO、旅行会社の方々らから様々お話を聞けました。
今日は午前中、片江学巳在ルーマニア大使から現地情勢のブリーフィングを受け、午後から議会宮殿内でチウカ上院議長と面会しました。チウカ議長は前首相で、12月に行われる大統領選に国民自由党の代表として立候補を表明されています。
議会宮殿は行政府と建物として世界第三位の大きさ。チャウシェスク大統領の時に着工されたもので、権力誇示のためと言われています。体制転換後、一時放置されましたが、工事が再開されて完成し現在は上下両院の他、会議場や展示場、コンサートホールなどにも利用されています。
夕方に時差ボケから強烈な眠気に襲われましたが、何とか乗り切り、夜は上院議長主催の夕食会。副議長や環境大臣、上院事務局長の皆さんらも参加くださいました。ウクライナ問題でさらに突っ込んだ意見交換ができ、予定を大幅にオーバーしました。
明日、9/1から長浜博之参院副議長一行の一員としてルーマニア、スロバキア、ポーランド各共和国を訪問し、各国の政治経済事情を視察します。12日に帰国します。
各国の国会議長・副議長、外務委員長との会談やウクライナ避難民の支援施設の視察、商工・文化関係者との懇談、日本との友好議員連盟や在留邦人の皆さんとの懇談を行い、アウシュビッツ強制収容所も視察します。
昨年は副議長一行としてバルト三国を訪問し、旧ソ連、ドイツの抑圧下にあった歴史を持つ各国が「明日の我が身」の思いでロシアによるウクライナ侵略に危機感を持って支援を行っていること各地で聞くことができました。今回の三国には立場の違いもありますが、現地の状況をしっかりつかみたいと思います。
一行は長浜副議長と与野党各会派から松山政司(自民) 、斎藤嘉隆(立憲)、谷合正明(公明)、榛葉賀津也(民主)各議員と私です。現地から、できるだけ発信しますのでご覧ください。
終了後、名古屋市の金山駅コンコースで行われている「戦争と人間」展へ。高校生が被爆者の証言を聞いて書いた「原爆の絵」に多くの足が止まり、じっくり見つめる若い人の姿も。部活の試合の帰りで真っ黒に日焼けしたの男子高校生三人が案内ビラを配ってくれました。うれしいなあ。
能登半島地震で集落全体が避難をしましたが、太鼓の道具は真っ先に避難させたとのこと。絶対に復興し、次世代につなぐという魂にあふれた太鼓でした。
明日は朝から能登半島地震の被災地に入ります。