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「外交安保・核廃絶」の記事

 赤旗コラム23.9.jpg今朝のしんぶん赤旗の東海・北陸信越ページにバルト三国訪問について書きました。 

【国民の願い胸に】 長浜博行参院副議長を団長とする公式訪問・視察団の一員としてエストニア・ラトビア・リトアニアのバルト三国を8月21日から31日まで訪問しました。

 三国はそれぞれ独自の言語、文化を持っていますが、ロシア領から1918年に独立し、1940年にソ連による併合後、一時的なドイツの占領を経て長くソ連の一部とされ、91年に再独立したという共通の歴史を持っています。

 どの国でも1940年以降の占領の悲惨さと独立運動についての歴史資料館など視察しました。占領下に人々が自由を奪われ、虐殺され、シベリア等に連行された事実が展示されています。ラトビアで館内を案内してくれた女性は祖母がシベリアに連行され、帰国後は独立運動に参加したと語ってくれました。リトアニアでの友好議連との会談で私の母が広島での被爆者だと紹介すると、ユダヤ人の国会議員の方が、自分の母は杉原千畝副領事のビザ発給を待ったが間に合わず、ナチスに収容されたと話されました。

 こうした歴史と実体験があるもとで、ロシアに対して強い脅威感があり、ウクライナの事態は「明日のわが身」という思いで三国とも多くの避難民を受け入れ、大きな支援をしています。街中に多くのウクライナ国旗が掲げられていました。

会談では日本に軍事支援を求める声も出されましたが、私たちがロシアの侵略中止と撤退を求め、人道支援と世界の平和の秩序の回復への努力をしているとお話ししました。さらに努力が必要と痛感した三国訪問でした。

 

 23.9PFAS.jpg午前中は党国会議員団の第2回 PFAS問題対策委員会。PFAS問題研究者の小泉昭夫さん(京都大学名誉教授)から「国の対応の問題点」として「エコチル調査」と「水道水規制」についてをお話いただき質疑応答。予防原則の立場からの血中濃度検査や土壌汚染調査、米国の対策を日本にも適用を求めていく必要性が語られました。

 午後は15日に東京で開かれる日韓・韓日友好議連の合同総会にの安保・外交委員会の事前学習会。外務省、防衛省から北朝鮮の核・ミサイル、拉致問題やインド太平洋地域における覇権主義的動きにたいしてルールに基づく国際秩序を守るための共同について報告を受け質疑応答と意見交換をしました

23愛知原爆.jpg名古屋市の金山駅自由通路で開催中の「原爆パネル展」へ。愛知県原水爆被爆者の会主催です。
 写真パネルとと共に、今年も広島市立基町高校の生徒が被爆者から証言を聞いて書いた原爆絵画で展示されています。三品の一つ一つに作者の高校生の思いと被爆者のコメント付きです。多くの人が足を止めて見入り、若い世代に原爆の悲惨さと核廃絶の思いをつないでいます。
今日、明日と20時まで開かれています。
  非核の会事務局.jpg「非核の政府を求める会」のオンライン事務局会議に京都の自宅から参加しました。8月6、9日の広島、長崎での平和式典で広島市長、県知事、長崎市長がいずれも挨拶で、「核抑止」は「破綻」しているとし、脱却の決断を求めたことが話題に。
 G7サミットでの「広島ビジョン」について直後には、首長などからは評価する声が上がっていましたが、被爆者や市民から核抑止を肯定したことへの厳しい声があがったことが情勢を変えてきていると議論になりました。さらに九月の国連総会について会として政府に申し入れる内容について提案があり、論議しました。
 終了後に東京に向かう予定でしたが、昨日からの豪雨による新幹線のダイヤの乱れが続いており、駅も大混乱になっている報道。夕方になり、ほぼ平常通り運行になりましたが、予定より大幅に遅い時間に東京に向かうことになりました。

 原爆展2.jpg終戦記念日の今日、見逃していた先日のNHKの「歴史探偵」をネットで視聴しました。1951年、占領軍の検閲と日本のメディアの「自主規制」を打ち破り、全国で初めての本格的な原爆展を京大学生が準備した「原爆展」を取り上げた番組す。

 当時の京大生、京都府八幡市在住の小畑哲雄さんが登場。「知ってしもうた以上は未来に知らせるのがわれわれの責任ではないか」――小畑さんの言葉は重い。小畑哲雄『占領下の「原爆展」―平和を追い求めた青春』〈かもがわブックレット〉でも詳しく書かれています。

 原爆展1.jpg番組の中では、GHQの検閲がなくなった後も、「占領軍批判」「共産党支持」「原爆」をタブー視して「書くな」と、メディアの上層部が記者に圧力をかけていたことも描かれました。今も変わらぬ、大手メディアの姿です。

 小畑さんには学生時代に、当時の京大学生運動についてお話を伺ったことがあります。議員になって、八幡市に演説に行った際には、いつも励ましていただいています。お元気な姿を見ることができました。

 今日は台風7号が近畿地方を縦断。京都は終日、雨と風でした。各地での被害が心配です。

 

 あいち戦争展.jpg名古屋市内で今日まで開かれている「あいち平和のための戦争展」。東京から京都に帰る途中に立ち寄ったら、受付の方から「本村さんも来てますよ〜」と言われてビックリ。山本シモコ刈谷市議も来られていて、「市議選、お疲れ様でした」と挨拶できました。

 本村さんと沖縄の展示の前で。

 広島の原爆の日の翌日の今朝の新聞各紙の多くは、平和記念式典での広島市長や知事のあいさつを「各抑止力論の破綻」として一面トップで報じました。さらに、解説や論評でもそのことを指摘しており、大きな流れになっていることを示しました。長崎大会でもこの流れがさらに大きくなります。がんばりどきです。

 昨日は広島の式典の後、実家のある三次市へ。今日は早朝から墓掃除と草刈を行いました。気持よく汗をかきました。夜に東京に戻りました。

 23広島献花.jpg広島に原爆投下から78年目となる8月6日。投下時刻の8:15に黙祷が始まると平和公園から人の声は消え、蝉の鳴き声の中、平和の鐘が鳴り響きました。あの日も、暑い日でした。今年も朝6時に党国会議員団、広島県委員会で原爆慰霊碑に参拝。平和記念式典に参加し、8:15に黙祷を捧げました。
 式典では広島市長も県知事も「核抑止論」の破綻を訴え、国連事務総長は「核廃絶を」求めました。岸田総理の挨拶は今年も核兵器禁止条約に一言も触れない空虚なもの。残念です。
 23一中慰霊碑.jpg続いて母校・国泰寺高校にある前身の広島一中原爆犠牲者の碑に参拝。自らの原点をかみしめ、核無き世界への誓い新たに。午後は原水爆禁止世界大会のヒロシマデー集会に参加、原爆病院を慰問しました。
 京都を朝出て大阪駅近くで開かれた高校の同窓会、「鯉城関西同窓会」の「トーク&昼食会」へ。村上茂樹会長の挨拶の後、恒例のOBによるトークは、S56卒業の天野暢子さんによる「秒速で伝えるプレゼンテーション――テレビに学ぶ5つの技術」。
 ニュース番組の校閲やテロップの製作監修に携わってこられた経験からの①最初に結論②シンプルに③数字を使って④端的なタイトル⑤ビジュアルで示す――というお話は政治家としての訴えにも実に参考になるものでした。
 広島に移動するために乾杯の前に一言あいさつして泣く泣く中座しました。開会前に同窓会の椿幹事長とパチリ。私の二代後の応援団副団長でもあります。
 広島では、笠井、宮本、仁比、岩渕各国会議員、大平元衆院議員、中原一区予定候補、藤井・河村両県議、中村市議と合流。まずは、原爆養護ホーム倉掛のぞみ園へ。耐震改修工事のために同園に引っ越してこられている舟入むつみ園の園長さんからお話を伺った後、入所者の皆さんにご挨拶し記念写真。
 続いて広島県被団協、被爆者相談所の皆さんと懇談。広島サミットでの核兵器を正当化した「広島ビジョン」への憤りの声や、多くの被爆者の遺体が流れ込んだ広島湾での日米共同演習などに対して出された憤りの声に、核廃絶の思いを新たにしました。

 IMG_3752.jpg京都市内で二つの平和の企画に行ってきました。一つは「第38回 反核・平和のための小品展」「第43回 平和のための京都の戦争展」です。ヒロシマ・ナガサキの日、終戦記念日を迎える夏に毎年、続けられてきたもの。

 小品展では様々なジャンルの美術家たちが平和への思いを込めて作品を持ち寄り、戦争展では実行委員会企画の「ウクライナ戦争1年半 現地からの報告」「沖縄南西諸島 急激に進むミサイル基地化」などと共に各民主団体による展示が行われています。

 IMG_3755.jpg明日、明後日は広島に行き、平和祈念式典への参列や原爆特養ホーム、原爆病院への訪問など取り組みます。

 

 

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