今日は「非核の政府を求める会」のZOOMによる事務局会議。原水爆禁止世界大会の成果や核抑止力論を厳しく批判した広島・長崎の市長の訴えの重要性、自民党の総裁選めぐる情勢などについて議論し、国連総会に向けた政府申し入れの内容な今後の取り組みなど常任世話人に提起する内容について確認しました。
朝は歯医者。夕方、京都へ。
明日の8/6を前に広島原爆養護ホーム「舟入むつみ園」、第二日赤原爆病院、広島県被団協を訪れ慰問と懇談。被爆者が高齢化されている中、被爆の実相と核兵器の非人道性を次世代に語り継ぐ大切さがどこでも語られました。「非核の政府を求める会」の交流会にも参加。

大阪市で開かれた広島国泰寺高校の関西同窓会の「トーク&昼食会」へ。午後は、京都の「鴨川納涼」で広島県人会の皆さんと語らいました
同窓会の冒頭、前身の旧制広島一中の原爆犠牲者に黙祷を捧げました。先週、母校の正門横の「一中原爆犠牲者追悼の碑」で行われた式典の報告もありました。94歳の大先輩は被爆当時の一中の二年生。建物疎開の作業のために登校してい一年生や勤労動員で市内の工場にいた二年生はほぼ全滅したが、市外にいた自分は生き残ったとして「先ほど黙祷を捧げたが、自分が捧げられる側になったかもしれない」と語られました。
私もトークに立ち「原爆犠牲者に黙祷を捧げ、追悼式の様子や先輩のお話を聞くと、核兵器のない世界を作ることがこの同窓会出身の国会議員である私の使命だと改めて実感した」とお話しました。

「自民党ひどすぎる。がんばってや」と先輩方から声をかけていただきました。明日、明後日は広島に行き、平和記念式典や原水爆禁止世界大会に参加し、母校の「追悼の碑」にも立ち寄ります。
京都に帰り、夜は「鴨川納涼」へ。猛暑の中ですが、河川敷には時折風も吹き、すごい人出でした。各道府県人会のテントもずらり並びます。広島県人会のテントでお好み焼きをいただきながら、県人会の役員の皆さんらと語らいました。
午前中は歯医者で虫歯の治療。閉会中に体のメンテナンスも大事です。午後から京都にもどり立命館大学の国際平和ミュージアムでの「平和のための京都の戦争展」に行きました。
長年、実行委員会の皆さんがこの会場で開いてこられましたが、建物のリニューアルのためにここ数年は場所を変えての開催でした。入口には「わだつみ像」があります。やっぱり戦争展はここ。
展示では、戦争中の京都の軍事施設や戦争推進ポスターなどと共に祝園弾薬庫の強化など、岸田軍拡のもとで京都ですすむ戦争する国づくりの実態や反対する住民の運動が紹介されていました。
京都から東京へ。日米2+2、核抑止の閣僚会合や米軍による性暴力隠蔽問題、防衛省で連続する不祥事について、衆院安保委、外防委で閉中審査が行われ、日本共産党から赤嶺、山添議員が質問に立ち、厳しく追及しました。
午後から日米2+2、核抑止の閣僚会合についての外務省からのレク。事務局を務める「非核の政府を求める会」として抗議の声明を発表しました。国対会議、議員団会議に参加しました。
韓国の尹徳敏(ユン・ドクミン)駐日大使の日韓議員連盟主催の歓送会に参加。挨拶に立った志位議長は、五月に大使と会談し、党の「東アジアの平和構築への提言」について説明したことなどを紹介。両国の友好の発展に尽力された大使に感謝の意を表しました。
夕方には議員団会議が開かれました。
今日は日本共産党の102回目の誕生日。そんな日に許しがたいニュースが。アメリカ西部ワシントン州のシアトルで、広島の「原爆の子の像」をモデルに建てられた少女の銅像が、足の部分から切断され、なくなっているのが見つかり、警察は窃盗などの疑いで捜査しているとのこと。
広島育ちの被爆二世の私の入党の一番の動機は、核兵器のない世界をつくること。1990年に建立さたシアトルの「サダコ像」がモデルにしたのは広島の平和公園にある「原爆の子の像」。被爆して白血病によって12歳で亡くなった佐々木禎子さんをしのぶために同級生らがカンパを募って建立したものです。
「原爆の子の像」が建立された1958年5月5日は私の誕生日。私にとって特別の思いがあります。悲しい。銅が高騰していることで売買目的ではないかとされていますが。いかなる理由であれ許されません。
議員宿舎で本日〆切の原稿の執筆などなど。