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「外交安保・核廃絶」の記事

 原爆展2.jpg終戦記念日の今日、見逃していた先日のNHKの「歴史探偵」をネットで視聴しました。1951年、占領軍の検閲と日本のメディアの「自主規制」を打ち破り、全国で初めての本格的な原爆展を京大学生が準備した「原爆展」を取り上げた番組す。

 当時の京大生、京都府八幡市在住の小畑哲雄さんが登場。「知ってしもうた以上は未来に知らせるのがわれわれの責任ではないか」――小畑さんの言葉は重い。小畑哲雄『占領下の「原爆展」―平和を追い求めた青春』〈かもがわブックレット〉でも詳しく書かれています。

 原爆展1.jpg番組の中では、GHQの検閲がなくなった後も、「占領軍批判」「共産党支持」「原爆」をタブー視して「書くな」と、メディアの上層部が記者に圧力をかけていたことも描かれました。今も変わらぬ、大手メディアの姿です。

 小畑さんには学生時代に、当時の京大学生運動についてお話を伺ったことがあります。議員になって、八幡市に演説に行った際には、いつも励ましていただいています。お元気な姿を見ることができました。

 今日は台風7号が近畿地方を縦断。京都は終日、雨と風でした。各地での被害が心配です。

 

 あいち戦争展.jpg名古屋市内で今日まで開かれている「あいち平和のための戦争展」。東京から京都に帰る途中に立ち寄ったら、受付の方から「本村さんも来てますよ〜」と言われてビックリ。山本シモコ刈谷市議も来られていて、「市議選、お疲れ様でした」と挨拶できました。

 本村さんと沖縄の展示の前で。

 広島の原爆の日の翌日の今朝の新聞各紙の多くは、平和記念式典での広島市長や知事のあいさつを「各抑止力論の破綻」として一面トップで報じました。さらに、解説や論評でもそのことを指摘しており、大きな流れになっていることを示しました。長崎大会でもこの流れがさらに大きくなります。がんばりどきです。

 昨日は広島の式典の後、実家のある三次市へ。今日は早朝から墓掃除と草刈を行いました。気持よく汗をかきました。夜に東京に戻りました。

 23広島献花.jpg広島に原爆投下から78年目となる8月6日。投下時刻の8:15に黙祷が始まると平和公園から人の声は消え、蝉の鳴き声の中、平和の鐘が鳴り響きました。あの日も、暑い日でした。今年も朝6時に党国会議員団、広島県委員会で原爆慰霊碑に参拝。平和記念式典に参加し、8:15に黙祷を捧げました。
 式典では広島市長も県知事も「核抑止論」の破綻を訴え、国連事務総長は「核廃絶を」求めました。岸田総理の挨拶は今年も核兵器禁止条約に一言も触れない空虚なもの。残念です。
 23一中慰霊碑.jpg続いて母校・国泰寺高校にある前身の広島一中原爆犠牲者の碑に参拝。自らの原点をかみしめ、核無き世界への誓い新たに。午後は原水爆禁止世界大会のヒロシマデー集会に参加、原爆病院を慰問しました。
 京都を朝出て大阪駅近くで開かれた高校の同窓会、「鯉城関西同窓会」の「トーク&昼食会」へ。村上茂樹会長の挨拶の後、恒例のOBによるトークは、S56卒業の天野暢子さんによる「秒速で伝えるプレゼンテーション――テレビに学ぶ5つの技術」。
 ニュース番組の校閲やテロップの製作監修に携わってこられた経験からの①最初に結論②シンプルに③数字を使って④端的なタイトル⑤ビジュアルで示す――というお話は政治家としての訴えにも実に参考になるものでした。
 広島に移動するために乾杯の前に一言あいさつして泣く泣く中座しました。開会前に同窓会の椿幹事長とパチリ。私の二代後の応援団副団長でもあります。
 広島では、笠井、宮本、仁比、岩渕各国会議員、大平元衆院議員、中原一区予定候補、藤井・河村両県議、中村市議と合流。まずは、原爆養護ホーム倉掛のぞみ園へ。耐震改修工事のために同園に引っ越してこられている舟入むつみ園の園長さんからお話を伺った後、入所者の皆さんにご挨拶し記念写真。
 続いて広島県被団協、被爆者相談所の皆さんと懇談。広島サミットでの核兵器を正当化した「広島ビジョン」への憤りの声や、多くの被爆者の遺体が流れ込んだ広島湾での日米共同演習などに対して出された憤りの声に、核廃絶の思いを新たにしました。

 IMG_3752.jpg京都市内で二つの平和の企画に行ってきました。一つは「第38回 反核・平和のための小品展」「第43回 平和のための京都の戦争展」です。ヒロシマ・ナガサキの日、終戦記念日を迎える夏に毎年、続けられてきたもの。

 小品展では様々なジャンルの美術家たちが平和への思いを込めて作品を持ち寄り、戦争展では実行委員会企画の「ウクライナ戦争1年半 現地からの報告」「沖縄南西諸島 急激に進むミサイル基地化」などと共に各民主団体による展示が行われています。

 IMG_3755.jpg明日、明後日は広島に行き、平和祈念式典への参列や原爆特養ホーム、原爆病院への訪問など取り組みます。

 

 

 岩倉南.jpgご近所の光永あつひこ府議に朝、迎えに来てもらい、京都市左京区岩倉南地域で訪問活動。保険証存続、マイナカード押し付けストップの署名のお願いをしながら対話しました。
 岩倉南は人口急増地域。光永府議は岩倉南支部の皆さんとともに新しい住宅への全戸訪問を続け、若い世代の後援会員さんを増やしてきました。その方々を中心に訪問。どこでもコロナ署名は「おかしいですよね」「政府はなぜ、かたくななんでしょう」といいながら、皆さん協力して下さいました。
 対話の中で、「コロナで大変な時、草の根で活動されてたのは共産党の方ばかり。だから信頼してます」「報道見てるとしんどいことばかり。希望を感じたい」などうれしい言葉も。二軒の方が初めて京都民報を購読して下さり、あらなた後援会の入会も。
 午後fは「伏見ピースメッセージ展」へ。戦争の記憶を語り継いでいこうと伏見区の住民らが毎夏、開催しており、今年で11回目。広島の基町高校の生徒が被爆者から聞き取りをして描いた原爆絵の展示も。母校、国泰寺高校の先輩の故・兒玉さんの証言に基づく絵も展示されていました。
非核の会7.20.jpg「非核の政府を求める会」のオンライン事務局会議に参加。昨日、会として行ったNPT再検討会議第一回準備委員会に向けた政府要請の内容など、この間の活動等について報告がありました。
 この間の非核・平和を巡る情勢や原水爆禁止世界大会への対応や国連総会に向けての政府要請等について協議しました。
 岸田総理は国内で大きな豪雨災害が出ているにも関わらず外遊を優先し、昨年に続いてNATOの首脳会談に出席して軍事一体化を強めています。
 同時期に行われたASEANの一連の会合で、核保有国に対し核廃絶を要求し、東南アジア非核地帯条約への署名を求めています。本来、これこれそが唯一の戦争被爆国である日本が求めるべきこと。岸田政権は逆行しています。

 パリ祭.jpg今日はパリ祭。フランス革命記念日です。自宅ご近所の在京都フランス総領事館(旧日仏会館)で開かれた、パリ祭レセプションに倉林議員とともに参加しました。

 ジュール・イルマン総領事は開会のあいさつで、「私たちは自由、平等、博愛という複雑な三部作の価値観を祝います」と切り出されました。

 そして、この三つの価値観が一緒になることがあり、ジェンダー平等に関する場合も当てはまるとし、「女性と男性の平等は女性が望むように行動する自由でもあります。同姓結婚は、誰もが自分のセクシュアリティを生きる自由の表れの一つであり、誰も気傷つけず、異性愛者の平等を確立します」と述べられました。

 乾杯の後、中庭で美味しいワインを片手に交流しました。

 頴展・有吉.jpg午前中は歯医者さん。昼過ぎに東京をでて京都に帰り、市内で開かれている京都AALAの「頴展」に行きました。会場には油絵を展示されている有吉節子元京都市議もおられ、パチリ。

 昨日は、代々木病院で年に一回の人間ドック。今年も、胃カメラはするっと飲めました。(*^^)v

 核兵器禁止条約.jpg今日、7月7日は核兵器禁止条約が採択されて6年目の日。あの日、日本共産党代表団の一員として国連の核兵器禁止条約検討会議に参加し(写真)、採択の瞬間に立ち会いました。その時の感動を思い出します。
 核大国の妨害をはねのけて採択された瞬間、歓声が上がり、長い拍手が続き、みんなが立ちあがりハグが始まりました。採択後の発言で、被爆者の果たした役割への感謝が多くの国から語られました。
 あれから六年、条約は発効しましたが、いまだに日本政府は条約に背を向けています。G7サミット広島ビジョンでは、条約に触れないだけでなく、あろうことから被爆国から核抑止力を宣言するという恥ずべき内容でした。
 日本の参加を求める地方議会の意見書は659に達しました。この声を聞き、条約に参加する政府をつくろう。来るべき総選挙では、国連会議に一緒に参加した広島出身の大平さんの議席回復を中国ブロックからなんとしても。
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