活動日誌

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「外交安保・核廃絶」の記事

 明日、9/1から長浜博之参院副議長一行の一員としてルーマニア、スロバキア、ポーランド各共和国を訪問し、各国の政治経済事情を視察します。12日に帰国します。
 各国の国会議長・副議長、外務委員長との会談やウクライナ避難民の支援施設の視察、商工・文化関係者との懇談、日本との友好議員連盟や在留邦人の皆さんとの懇談を行い、アウシュビッツ強制収容所も視察します。
 昨年は副議長一行としてバルト三国を訪問し、旧ソ連、ドイツの抑圧下にあった歴史を持つ各国が「明日の我が身」の思いでロシアによるウクライナ侵略に危機感を持って支援を行っていること各地で聞くことができました。今回の三国には立場の違いもありますが、現地の状況をしっかりつかみたいと思います。
 台風10号による今後の被害が心配ですが、有意義な視察にするために、今日は、議員宿舎で渡航準備をしながら、関係の本や資料を読み込んでいます。
 一行は長浜副議長と与野党各会派から松山政司(自民) 、斎藤嘉隆(立憲)、谷合正明(公明)、榛葉賀津也(民主)各議員と私です。現地から、できるだけ発信しますのでご覧ください。
 原爆と人間.jpg暑い~と叫びながら動いた一日。午前中は京都六区の城陽市、宇治市でそれぞれ演説会。堀川明子比例予定候補、かみじょう亮一六区予定候補らとともに訴えました。
 終了後、名古屋市の金山駅コンコースで行われている「戦争と人間」展へ。高校生が被爆者の証言を聞いて書いた「原爆の絵」に多くの足が止まり、じっくり見つめる若い人の姿も。部活の試合の帰りで真っ黒に日焼けしたの男子高校生三人が案内ビラを配ってくれました。うれしいなあ。
 兒玉さん.jpg高校の先輩(旧制広島一中生)の兒玉光雄さんの証言による絵も三枚ありました。倒壊した一中の校舎から脱出した兒玉さんが学友たちを助けようと必死の努力をしたときの絵。
 そのあと、名古屋から米原、敦賀と乗り換えて金沢市へ。石川県医療労働組合連合会50周年祝賀会に出席しました。冒頭、輪島市名舟地区に伝わり、県の無形文化財に指定されている御陣乗太鼓が演じられました。
 能登半島地震で集落全体が避難をしましたが、太鼓の道具は真っ先に避難させたとのこと。絶対に復興し、次世代につなぐという魂にあふれた太鼓でした。
 石川医労連.jpg南雅子委員長のあいさつで始まり、乾杯した後、全国や石川県内の各界からの祝辞。日本共産党から佐藤県議、鐙輪島市議が参加し、私が代表してあいさつしました。コロナ禍でも能登半島地震でも住民の命を守って大奮闘し、「再び白衣を戦場の血で汚さない」と運動の先頭に立ってきた医労連の皆さん。感謝と期待の声が相次ぎました。 最後は南委員長の音頭で「ガンバロー」を参照しました。
 明日は朝から能登半島地震の被災地に入ります。

 24.8非核の会.jpg今日は「非核の政府を求める会」のZOOMによる事務局会議。原水爆禁止世界大会の成果や核抑止力論を厳しく批判した広島・長崎の市長の訴えの重要性、自民党の総裁選めぐる情勢などについて議論し、国連総会に向けた政府申し入れの内容な今後の取り組みなど常任世話人に提起する内容について確認しました。

 朝は歯医者。夕方、京都へ。

 24.8八幡.jpg京都府八幡市で開かれた、やわた「平和つどい」に参加。会場一階のミニギャラリーでは、広島市立基町高校の生徒たちが被爆者の証言を聞いて描いた「原爆の絵」が展示されています。
 同校の卒業生の方が、描いた時の思いや苦労を話してくれるという企画を楽しみにして参加したのですが、急遽来れなくなったとのこと。残念ですが、スタッフの方が本人が用意されていた原稿を読み上げて下さり、思いはしっかり伝わってきました。
 私も一言「基町高校の隣の国泰寺高校を卒業しました。被爆した先輩の証言に基づく絵も描かれています。被爆二世として核兵器廃絶にがんばる」と発言させてもらいました。
 小畑.jpg会場には、京大の大先輩で、戦後直後に全国で初めて学生自治会による「原爆展」を開催し、昨年のNHKの「歴史探訪 消えた原爆ニュース」でも大きくとりあげられた小畑さんにお会いしてお話することができました。97歳になられましたが、とてもお元気そうでした。
 小畑さんについては、昨年、非核の政府の会のニュースに書きました。ご覧あれ。https://www.inoue-satoshi.com/newspaper/2023/10/nhk231015.html
 24献花.jpg被爆79周年の8月6日。早朝に原爆慰霊碑に献花。田村智子委員長、国会議員団、広島の皆さんとご一緒でした。
 その後、母校・広島国泰寺高校の一中原爆犠牲者追悼の碑、平和記念式典、核兵器廃絶世界大会広島デーと核兵器廃絶への国を超え、世代を超えた願いと運動を交流し、核兵器廃絶への確信と誓をいっそう固めた一日でした。
 24国泰寺.jpg平和記念式でも世界大会でも、核廃絶を「夢物語」として、安全保障のために核軍拡を進める核抑止力の現実性が大きく問われました。記念式の市長の平和宣言や知事、国連事務総長の挨拶でもそのことに触れ。ウクライナやガザなど核兵器使用のリスクが高まる現実こそ直視し、核兵器廃絶を求めるものでした。
 岸田総理の挨拶は、核抑止力に依拠する立場で、核兵器禁止条約にも触れない空虚なものでした。
 式典での小学生の誓いや世界大会での高校生をはじめとした若者たちの発言は、核兵器無き世界への希望を大きく広げるものでした。大会では田村委員長が挨拶。国会議員も壇上で紹介され、最後は恒例のフィナーレ。
庚午中.jpg 世界大会での発言した広島と愛知の被爆者団体の各理事長の佐久間さん、金本さんは広島市立庚午中の同級生で私の先輩。思いを一つスリーショットをとりました。

 原爆病院.jpg明日の8/6を前に広島原爆養護ホーム「舟入むつみ園」、第二日赤原爆病院、広島県被団協を訪れ慰問と懇談。被爆者が高齢化されている中、被爆の実相と核兵器の非人道性を次世代に語り継ぐ大切さがどこでも語られました。「非核の政府を求める会」の交流会にも参加。

 24鯉城関西.jpg大阪市で開かれた広島国泰寺高校の関西同窓会の「トーク&昼食会」へ。午後は、京都の「鴨川納涼」で広島県人会の皆さんと語らいました
 同窓会の冒頭、前身の旧制広島一中の原爆犠牲者に黙祷を捧げました。先週、母校の正門横の「一中原爆犠牲者追悼の碑」で行われた式典の報告もありました。94歳の大先輩は被爆当時の一中の二年生。建物疎開の作業のために登校してい一年生や勤労動員で市内の工場にいた二年生はほぼ全滅したが、市外にいた自分は生き残ったとして「先ほど黙祷を捧げたが、自分が捧げられる側になったかもしれない」と語られました。​
 私もトークに立ち「原爆犠牲者に黙祷を捧げ、追悼式の様子や先輩のお話を聞くと、核兵器のない世界を作ることがこの同窓会出身の国会議員である私の使命だと改めて実感した」とお話しました。
8.3.jpg「自民党ひどすぎる。がんばってや」と先輩方から声をかけていただきました。明日、明後日は広島に行き、平和記念式典や原水爆禁止世界大会に参加し、母校の「追悼の碑」にも立ち寄ります。
 京都に帰り、夜は「鴨川納涼」へ。猛暑の中ですが、河川敷には時折風も吹き、すごい人出でした。各道府県人会のテントもずらり並びます。広島県人会のテントでお好み焼きをいただきながら、県人会の役員の皆さんらと語らいました。

 IMG_5086.jpg午前中は歯医者で虫歯の治療。閉会中に体のメンテナンスも大事です。午後から京都にもどり立命館大学の国際平和ミュージアムでの「平和のための京都の戦争展」に行きました。

 長年、実行委員会の皆さんがこの会場で開いてこられましたが、建物のリニューアルのためにここ数年は場所を変えての開催でした。入口には「わだつみ像」があります。やっぱり戦争展はここ。

 展示では、戦争中の京都の軍事施設や戦争推進ポスターなどと共に祝園弾薬庫の強化など、岸田軍拡のもとで京都ですすむ戦争する国づくりの実態や反対する住民の運動が紹介されていました。

 

 1722376911428-664836a2-1039-4532-aa8b-2f50d6d7c58b_1.jpg 京都から東京へ。日米2+2、核抑止の閣僚会合や米軍による性暴力隠蔽問題、防衛省で連続する不祥事について、衆院安保委、外防委で閉中審査が行われ、日本共産党から赤嶺、山添議員が質問に立ち、厳しく追及しました。

 午後から日米2+2、核抑止の閣僚会合についての外務省からのレク。事務局を務める「非核の政府を求める会」として抗議の声明を発表しました。国対会議、議員団会議に参加しました。

 7.19福井駅前.jpg毎月第三金曜日は北陸信越ブロックのいっせい宣伝。昨日は福井県で訴えました。朝一番は福井駅前で、比例代表のたいらさん、福井一区のかねもとさんの両予定候補とともに街宣。新幹線で敦賀に移動し、山本、松宮両市議と共に市内三カ所で訴えました。
 昨日の参院国交委員会の能登半島地震被害状況について報告。志賀原発のトラブルや珠洲原発予定地だった付近の海底の隆起の状況もお話して、地震大国日本に安全な原発はなく、避難計画も絵にかいた餅であること明らかになった。福井県内の老朽原発の再稼働ではなく原発ゼロをと呼びかけました。
 7.19敦賀.JPG政府による敦賀港の「特定利用港湾」への指定を県が受け入れたことに対し、前日に戦争する国造り反対福井県連絡会」が申し入れをしたこともお話ししました。自衛隊などが有事(戦時)に使用することを前提に国が改修や整備をする空港・港湾。戦時に加え平時から自衛隊が訓練や人員・物資の輸送などで軍事利用しやすくするのが目的です。岸田政権が進める「戦争国家づくり」の一環であり、有事には攻撃の対象となる恐れがあります。
 敦賀マンホール (2).jpg敦賀市内三カ所に、広島国泰寺高校の後輩のイラストレーターの松尾たいこさんのイラストのマンホールがあります。気比神宮前でパチリ。イラストは、「敦賀港ムゼウム」をモチーフにしたもの。
 敦賀は1920年代にポーランド難民が、1940年代に「命のビザ」を手にナチスから逃れたユダヤ人の人々が上陸した日本で唯一の港。当時の建物を復元した資料館が「人道の港 敦賀港ムゼウム」です。特定利用港湾の受け入れは、「人道の港」としてきたこととも相いれません。
 午後に京都の自宅に戻り、非核政府を求める会のZOOMによる事務局会議に参加しました。
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