活動日誌

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「外交安保・核廃絶」の記事

 IMG_3636.JPG朝8時から、議員会館で全建総連の役員の皆さんと党国会議員団の懇談会。一次補正予算で措置された、新型コロナウィルス対応の保険料減免に対する予算が不足する懸念があり、万全を期した措置を講ずることなど5項目の要求を受け、現場の実情などお聞きしました。議員団として今後、政府に申し入れます。
 引き続く国対会議の後、治安維持法被害者国家賠償要求同盟の皆さんの国会請願行動で挨拶。学術会議任命拒否問題は、戦前のような権力に物言えぬ社会を作るという点で、同盟の皆さんのたたかいと共通だと強調しました。
 午後から、沖縄普天間基地での泡消火剤、PFOS流出問題での米軍報告書について防衛省からレク。続いて、急逝されたエラカート・パレスチナPLO執行委員会事務局長を悼み、日本パレスチナ友好議員連盟の一員として、在京パレスチナ常駐総代表部を弔問して記帳しました。
 PNND.jpg国会に戻り、核軍縮・不拡散議員ネットワーク日本の総会に笠井議員とともに参加しました。外務省から核兵器禁止条約や日本が国連に提出のした核廃絶決議案の内容など説明を受け質疑応答。核兵器禁止条約が発効し核兵器が違法化されることが確実になったもとでも日本政府の対応が従来と変わらないことに、議論が集中し、唯一の戦争被爆国とてして、禁止条約が発効するという新しい段階での対応が求められているという発言が続きました。
 夕方の新幹線で京都へ。
 IMG_3614.JPG午後に開かれた第9回学術会議任命拒否問題ヒアリングに参加。先日の菅総理の「推薦名簿が出る前に政府と会議側で一定の調整が行われていた」との答弁について、大西隆元会長は「選考委員会で絞り込んだ後、経過説明はしたが、政府と『調整』した事実はない」と否定。
 2018年に会長も知らないままにまとめらたれ事務局文書で、「任命すべき会員の数を上回る候補者の推薦を求め、その中から任命することも否定されない」としていることについて、その場合、総理は所定数の任命を行うために「選考」を行うことになるが、「選考」は総理の役割として法律に明記されていないし、評価する体制も整っていない。法律は学術会議が所定数の選考を行うことを求めていると改めて強調されました。
 昨日、政府方針に反対言動を懸念した6人を任命しなかったと複数の政府関係者が明らかにしたと報道しました。いずれも、この間の質疑を覆すような内容です。野党は代表質問から審議をやり直すべきだと、政府に求めています。
IMG_3611.JPG 日本私大教連の副委員長で龍大教授の丹羽徹さんら京滋地区私立大学教職員組合連合の代表が来られ、倉林議員の秘書とともに「学費負担の大幅軽減と私大助成の増額を求める国会請願署名」について要請を受け、懇談。アンケート調査結果もいただき、コロナ禍の下での学生の困難な状況についてお話を伺いました。
 先日、国連第一委員会で採択された日本政府提出の核兵器廃絶決議について、外務省からレクを受けました。

  11.6小池.jpg朝から参院予算委二日目。16時からの小池質問を応援傍聴。総理は当初、学術会議の任命拒否問題で「事前の調整ができなかったから」という昨日の自分の答弁の重大さに自覚がない様子。

 推薦前に事前調整して名簿を変更させることは任命拒否とはレベルが違う問題で介入だとの指摘に、重大性に気づき答弁不能に。秘書官のメモに頼る姿に、委員会室に「まずは自助で答弁を」の声が飛び交いました。 

 201106原水協新宿署名宣伝IMG_2649.jpg新宿西口での「6.9行動」に笠井亮議員と被爆二世コンビで参加。原水協や被爆者団体協議会の皆さんと共にヒバクシャ国際署名と核兵器禁止条約参加を求める署名活動。マイクを持ち「ヒバクシャの訴えと、皆さんの署名の一筆一筆が世界を動かし、核兵器を違法なものとする条約を作りました。さらに声を集めて、唯一の戦争被爆国として条約に参加する日本にしましょう」と訴えました。
 胸に笠井さんは赤、私は白の被団協の折り鶴バッチ。

 午前中は参院本会議での代表質問、午後は衆院本会議で代表質問2日目で日本共産党の志位委員長が登壇しました。

 志位委員長は質問時間半分以上を使って日本学術会議の任命拒否問題で追及しました法律違反であり、憲法で保障された学問の自由の侵害であることを様々な角度から具体的に質しましたが、菅総理はまともに答えることができず、同じ答弁の繰り返し。明日は参院で小池書記局長が質問にたちます。

 参院の代表質問は立憲民主党と自民党。自民党の質問者がわざわざ「総理の内政、外交に渡る国家ビジョンと哲学を改めてご自身の言葉でもう少し国民に詳しく発信を」と求めたのに、総理は「自助、共助、公助、そして絆」という言葉の繰り返しと答弁原稿の棒読みだけ。語るべきビジョンと哲学も自らの言葉も持たないことが露呈しました。

 広島国泰寺高校の先輩の被爆者の兒玉光雄さんが亡くなりました。旧制広島一中の校舎で被爆したただ一人の生存者でした。数年前の同窓会でお会いし、核廃絶の思いを聞かせていただきました。まるで核兵器禁止条約の発効を確かめるようにして亡くなりました。
 全国で展示されている広島基町高校の生徒による原爆絵画の中には、兒玉さんの証言によるものが数点あります。この絵が核廃絶の遺志を受け継ぐことでしょう。私も後輩として受け継ぎます。合掌。

 

 防衛省からイージス・アショア代替装備と敵基地攻撃能力保有問題でそれぞれレクを受けました。政府の検討状況について説明を聞き、憲法上の問題から予算にかかわる問題など質しました。臨時国会での論戦に生かします。

 夕方には議員団会議。昨日の所信表明演説を受けての臨時国会でのたたかいについて議論し、各地だの党勢拡大の取り組みについても交流しました。

10.26総がかり2.jpg やっと開かれた菅新総理の下での最初の臨時国会。午後からの参院本会議で所信表明演説が行われました。就任後、40日も待たせたのに、あれこれ課題を挙げるが理念はスカスカでした。
 掲げた課題も、「ポストコロナの新しい社会」をいうが、デジタル化だけで、脆弱な医療・保健の拡充はなし。「教育は国の礎」とするが、オンライン教育の拡大だけで少人数学級はなし。農産物の輸出拡大は言うが、食料自給率向上はなし。
 
しかも学術会議問題も核兵器禁止条約にも一言も触れず。最後は、「自助、共助、公助」「自分でできることはまず自分で」で締め。駄目だこりゃというのが感想です。
 
 20.10.26総がかり.jpg今日は午前中は本会議第一ラウンドと委員長選任の二つの特別委員会に出席。11時から議員団総会で志位委員長が挨拶し、12時から総がかり行動による議員会館前行動には立憲、沖縄、社民の議員と共に参加し、田村副委員長が挨拶。
 
志位さんも田村さんも挨拶の最初は、核兵器禁止条約が1/22に発効することになったことから切り出し、拍手が起きました。日本政府に批准を強く迫っていきます。
 
13時から開会式、15時から本会議第二ラウンドで所信表明演説。途中、様々、来客がありました。開会日はいつもあわただしい。さあ、臨時国会、がんばろう。
井上3.jpg昨日に続き、今日も新潟県で活動。燕三条駅前のホテルを朝出て、朝から三条市、見附市、長岡市で街頭演説会や集いで訴えました。
 朝6:30にパソコンを開くと、核兵器禁止条約をホンジュラスが批准して発効に必要な50ヵ国に達したというニュースが。思わずやった~とつぶやきました。今日の街宣はこのことから話し始め、参加者の皆さんと共に喜びあいました。
 
 さらに国連会議での採択の際の感動から、被爆者の訴えが核兵器の非人道性を広げ国際政治を動かしたことを語り、非人道性を一番知っているはずの日本政府が反対していることを批判。「市民連合」の立憲野党への要請に条約の早期批准が盛り込まれたことを紹介し、核兵器禁止条約に参加する政府に変えようと呼びかけました。
 20.10.25長岡.jpg午前中は三条市で三ヵ所、昼過ぎに見附市でそれぞれ街頭演説会。昼食後に見附市内で「集い」に参加し、訴えの後、約一時間、様々な質問や注文にお答えしました。
 最後は、長岡駅前で遠藤県議とともに街頭演説会。明日から臨時国会に向け、東京に戻っています。各市議団の皆さんにお世話になりました。

 20.10.22ヒアリング.JPG学術会議問題で午後から第8回ヒアリング。出席された大西元会長は、「推薦通り任命する義務はない」などとした18年の事務局文書の問題点を指摘し、事務局が会長らに相談せずに独自に作成するのはあり得ないことだと述べられました。

 ところが事務局からは今日もこの文書の作成経緯について「確認中」とするばかりで資料提出がありません。さらに追及します。

  ICAN川崎哲さんが昨日記者会見を開き、核兵器禁止条約の批准国が23日にも発効に必要な50か国を超える可能性があると述べられました。さあ、いよいよです。

 一方、今朝のニュースで米国が、複数の条約批准国に、批准を取り下げるよう求める書簡を送っていたことが分かりました。書簡では「核禁止条約を批准する国家主権は尊重するが、それは戦略的な誤りであり、批准を取り下げるべきだと考える」と強調しているとのこと。

 許せないことですが、それだけ彼らがこの条約を恐れている証拠。あらゆる妨害はねのけ発効させましょう。

 

 IMG_1263.JPG今日は菅内閣が誕生して一か月目。日本共産党の北陸信越ブロックのいっせい宣伝で福井市内で街頭に立ちました。
 駅前のホテルを出て、金元福井一区・比例予定候補、佐藤県議、山田市議とともに市内三カ所で街宣。「この一か月で、安倍政権以上の危険な強権内閣であることが浮き彫りになってきた」と強調し、菅政権をたおして野党連合政権をと訴えました。
 京都に帰り、日本人初のノーベル賞受賞者で日本学術会議の初代会員である湯川秀樹さんのご遺族の由規子さんを訪ね、湯川博士についてお話しを伺いました。湯川博士が亡くなるまで住まわれた左京区下鴨のお宅には、書斎や揮ごうされた書、膨大な文献が残されています。
DSC_7113.JPG 戦後、核廃絶と平和運動に身を捧げた湯川博士。1955年に世界の著名な科学者とともに発表したラッセル・アインシュタイン宣言で「大量破壊兵器の発達の結果、人類社会は悲劇的な事態に直面している。ビキニ実験以来核兵器は、これまでの想像を超えるものとなった」「人類に絶滅をもたらすか、人類が戦争を廃絶するか選択の問題だ」と掲げました。
 その湯川博士も、戦時中、科学者は軍事研究に動員される中、海軍の原爆研究(F研究)に参加したことが2017年に発表された当時の日記によって明らかになっています。研究はごく初期の段階で中止となり、湯川博士の関与は強いものでありませんでした。
 その後、原爆が広島・長崎にもたらした惨禍を目の当たりにし、ビキニの水爆実験による被害からその強大な威力を知った湯川博士は、前述の宣言に加わりました。さらに世界連邦世界協会会長を務め、パグウォッシュ会議や世界平和アピール七人委員会、科学者京都会議などで平和運動の先頭に立ちました。
 DSC_7144.JPGその土台には、戦時中に科学者が軍事研究に動員された痛苦の教訓があったのでしょう。やはり軍部の原爆研究に参加した仁科芳雄氏は戦後、「自然科学者は、極端な国家主義的戦争に利用されてきたことについて今日十分なる反省を要求されているはずである。われわれはこの反省を通じて、今後世界平和のためにのみ積極的に努力すべきであると信じる」と述べ、日本学術会議の初代副会長となりました。
 戦争中の痛苦の教訓から憲法に定められた学問の自由と学術会議の独立の重要性を改めて痛感しています。
 湯川博士が愛された美しい日本庭園を眺めながらお話しを伺いました。博士は、いっかんして「核抑止論」の誤りを指摘されてました。よく「なぜ、こんな簡単なことがわからなのかなあ」と言われていたそうです。
 
記念に、原爆投下直後に湯川博士が詠まれ、広島平和公園にも刻まれている句「まがつびよふたたびここにくるなかれ平和をいのる人のみぞここは」の、湯川博士自筆、妻のスミさん挿絵の色紙をいただきました。この思いをしっかりと胸に刻みます。

 ツバル.png朝から嬉しいニュース。ツバルが核兵器禁止条約を批准し 、発効に必要な50ヵ国にあと3ヵ国に迫りました。いよいよ日本政府の姿勢が問われます。

 今朝のNHK『エール』は裕一がインパール作戦の前線に慰問に行き銃撃をうけるという朝ドラでは異例の凄惨なシーンで、今日は主題歌も無し。

 太平洋戦争で最も無謀な作戦といわれたインパール作戦は中止となって撤退しました。ナレーションでは、兵士9万人のうち生き残ったは1万数千人としか語りませんでしたが、戦死者の大半は餓死と病死。撤退の道は「白骨街道」と呼ばれました。
 この無謀な作戦に「お国のため」といわれて駆り立てられ、この戦争に学問も、文化も音楽もすべて動員され、その自由は奪われた。その痛苦の反省の上に憲法があり、学術会議もあることを改めてかみしめました。
 
 午前中の国対で朝開かれた野党国対の報告を受けました。野党として、日本学術会議の任命拒否問題で、杉田官房副長官の出席のもとでの国会質疑を求めることで一致し、与党に要請しました。
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