活動日誌

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「外交安保・核廃絶」の記事

 IMG_2773.jpg広島経済大学の学生たちが作成した「黒い雨」のドキュメンタリー作品「黒い雨から76年 短命村と呼ばれた里から」をユーチューブで見ました。6日の原水爆禁止世界大会ヒロシマデー集会で、二人の学生が作成の経緯や思いを発言し、「ネットで『黒い雨』と検索してぜひ、見てください」と呼びかけていたもの。
 学生たちは、「黒い雨」のことを大学の講義で知り、実際に体験した人たちのもとに何度も通いつめました。130時間に及ぶ取材時間をかけ、原爆投下直後の「黒い雨」を浴びた人たちの証言をまとめ、裁判を通じて被爆者として認められるまでを追い続けた40分弱の作品です。https://www.youtube.com/watch?v=_6LeGuoWiQk
 
 集会で、「(原爆の被害が)今でも続いていることを1人でも多くの人に知ってもらいたい」 とのべた二人に心からの拍手を送りました。上映会などを通じて同じ若い世代に「黒い雨」問題を伝え続けたいとしています。ぜひ、ご覧ください。
 
 若い皆さんの参加が目立った今年の集会。この広島経済大の学生と共に、核兵器禁止条約第1回締約国会議に参加した早稲田大学の学生、30人で参加した東京高校生平和ゼミナールと東京学生ツアーの青年たちも発言しました。東京の学生が、日本政府に核兵器禁止条約への参加を求める署名が1万人に達し、「次は私たちが核兵器廃絶への歴史を刻んでいくときです」と表明すると、会場は大きな拍手で包まれました。
 広島市立基町高校の生徒による原爆絵画の展示も各地で取り組まれ、大きな反響を呼んでいます。未来を感じます。
 22長崎式典.jpg長崎への原爆投下77年目。平和祈念式典をテレビで見ながら黙とう。グテレス国連事務総長の挨拶は核廃絶を訴える被爆者へのリスペクトに溢れていました。
 田上長崎市長は平和宣言の冒頭で1956年の原水禁世界大会の時、下半身不随の被爆者が母親に抱きかかえられた会場に入った際に会場から「写真に撮るのはやめよ」「見せ物じゃないぞ」との声が上がって騒然としたが、登壇した被爆者が、「世界の皆さん、どうぞ私を写してください。二度と私をつくらないでください」とのべたことを紹介しました。
 それを聞いて、2010年のNPT再検討会議での長崎の被爆者、谷口稜曄(すみてる)さんの訴える姿が浮かんできました。
 谷口さんは、背中全体が真っ赤に焼かれた被爆直後の自身の写真を掲げ「私はモルモットではない。見世物でもない。でも目をそらさず、もう一度見てほしい」「私を最後の被爆者とするため、廃絶の声を世界に届けたい」と訴え、スピーチが終わると万来の拍手1分近く鳴り響きました。
 この命がけの訴えが世界を動かしてできたのが核兵器禁止条約です。谷口さんは条約の採択後一か月半あとに、採択を見届けるように亡くなりました。
 平和宣言はさらに、「核廃絶こそ人類を守る唯一の現実的な道」と強調しました。日本は直ちに核禁条約に署名を。
 夕方に世界的なデザイナー、三宅一生さんの訃報が。広島国泰寺高校の先輩です。三宅さんは小一で被爆されましたが、そのことをほとんど語っておられませんでした。しかし、オバマ演説を聞いてニューヨークタイムスに被爆体験を寄稿され、オバマ氏に広島訪問を呼びかけられました。
 ネクタイ.jpg私は、原爆で亡くなった多くの先輩をはじめ、核兵器のない世界を願う先輩たちの思いを胸に刻み、イッセイ・ミヤケのネクタイをしめて国連本部で核兵器禁止条約採択の採択に立ち会い(写真)、核兵器に関する会合などの時も締めるようにしてきました。
 改めて核兵器廃絶への決意を新たにしています。合掌
 午後には国葬と統一協会問題での野党の国対ヒアリングに参加しました。
 IMG_3937.JPG広島の被爆77年の早朝。平和公園の原爆慰霊碑に志位委員長、仁比、山添議員、大平元議員、党広島県委員会の皆さんらと共に核兵器廃絶の思いを込めて献花しました。その後、母校・広島国泰寺高校に立ち寄り、広島一中原爆犠牲者の慰霊碑に仁比、山添議員と共に記帳し、核廃絶を誓いました。
 平和祈念式典はコロナ対策のため人数制限があり、宿所で視聴。原爆が投下された8時15分に黙とうを捧げました。広島市長が平和への誓いで、日本が核兵器禁止条約の締約国会議に参加して役割を果たすことを強調し、昨年亡くなられた日本被団協代表委員の口癖だった「ネバーギブアップ」という言葉で締めくくられました。改めて胸に刻みたい。
県被団協.jpg 湯崎県知事が、核兵器の危険こそ現実の問題だと強調し、核抑止論から脱却することを強調されたのは印象的でした。グテーレス国連事務総長は世界の指導者に核依存をやめよよう呼びかけました。
 広島出身の総理だとしながら、核兵器禁止条約に一言も触れない岸田総理のあいさつは残念でした。
 さらに県被団協(箕牧理事長)の追悼慰霊式、原水爆禁止世界大会ヒロシマデー集会、県被団協(佐久間理事長)との懇談と続きました。
 ヒロシマデー.jpgヒロシマデー集会では若い皆さんの発言がとても素敵でした。「黒い雨」の番組を作るために現地に何度も足を運んで話を聞いた広島経済大学の学生、一万人以上の署名を集めた高校生のとりくみ。未来を感じました。 集会では野党国会議員のリレートーク動画の中で私の一分発言も映されました。志位委員長のあいさつもありました。
 被団協との懇談では、「黒い雨」被害者の被爆者手帳の申請、認定が進んでいない状況や問題点を詳しくお聞きしました。今後、仁比さんや大平さんと共に政府をただしていきます。
 終了後、明日の新潟豪雨災害調査のため、新幹線で博多に行き、福岡空港から空路で新潟入り。
ミャンマー要請.jpg 「ミャンマーの民主化を推進する議員連盟」として外務省に要請行動。先の議連総会でまとめた「ミャンマー国軍/軍政による民主活動家等4名の死刑執行を最大級の怒りをもって非難する声明」を外務省で三宅政務官に手渡し、あわせて国軍に拘束されたジャーナリストの久保田徹氏の早期解放への努力を強く求めました。
 私は、お昼のニュースで見た、ロシアのガルージン駐日大使が広島の原爆慰霊碑に献花したことを紹介しました。広島市が政府と相談の上、平和祈念式典にロシアを招待しなかったために今日、献花をしたのです。
 核兵器の使用で威嚇しながらウクライナ侵略をしているロシアを広島の式典に招待などできないのは当然。こうした毅然とした態度が必要なのに、なぜこのような蛮行を続ける国軍から留学生を迎え続けるのか。国軍容認として見えない。ただちに中止せよを求めました。
 その後、党の統一協会問題追及チームの第三回目の会合。やや日刊カルト新聞主筆の鈴木エイト氏からのヒアリングを行いました。
 村上豪雨.jpg 新潟県村上市や関川村、胎内市などでの記録的大雨の被害が発生しています。日本共産党の樋渡新潟県委員長に電話。地方議員の皆さんらと連絡をとって被害状況を把握しながら、必要な対策を協議しているところでした。石川県や福井県でも線状降水帯による大雨が降っており、被害の拡大が心配です。
 各県の皆さんと連携して対応していきます。

 今年も八月六日は広島。コロナでこの2年間は平和祈念式典の参加人数が限定されていたのですが、今年は緩和されて参加できるはずだったのですが、この間の感染急拡大で式典には参加できなくなりました。早朝の献花のあと、式典はホテルの部屋で見て、その後被爆者の皆さんとの懇談や、原水爆禁止世界大家のヒロシマデーへの参加など。

 ヒロシマデーでは国会議員によるリレーメッセージの動画が上映されます。今日は、原水協の事務局とZOOMでつないで撮影しました。広島に行かれる皆さん、現地でお会いしましょう。

 DSC03498.JPG朝9時から開かれた、超党派の「ミャンマーの民主化を推進する議員連盟」の緊急総会に参加。関係省庁からヒアリングし、議連として、ミャンマー軍の死刑執行に対し「国軍/軍政による市民の残虐行為に他ならず」「最大級の怒りもって非難」する声明をまとめました。
 ヒアリングの中で、ミャンマー国軍が死刑執行承認を公表し、日本政府として執行しないよう働きかけている時期に、防衛省が国軍の士官、士官候補生の留学受け入れを実行していたことがわかり批判が集中しました。私も「国軍からの留学生受け入れや安倍元総理の国葬の通報をミャンマーに対しても行っていることは、日本政府は軍政を容認していることになる」と述べ、政府が毅然と対応するよう求めました。
 今日は外務省から二つのレク。午前中は、日本政府がODAで進めてきたインドネシアとバングラデシュの石炭火力発電支援を中止すると6月に発表した問題で経緯等を聞きました。この間、現地住民やNGOの皆さんが反対運動を続け、私も質問で中止を求めてきた問題ですが、参院選挙中の発表だったので説明を聞くのが遅くなりました。
 
 外務省からは石炭火力発電からの撤退という国際的な流れのなかで相手国政府と協議を続け、中止で合意したということについて説明がありました。
 午後にはウクライナからの避難民の日本国内への受け入れについて、ビザの発給が遅れているというNGO の皆さんからの相談を受けて、状況を聞きました。コロナによる入国禁止措置の緩和をうけて全体でビザ発給の件数が増えていることや、この間、ウクライナからの避難民が人身売買のような被害を受けているケースもあり、審査に時間がかかっていることなど説明がありました。
 現場でのご苦労は大変ですが、避難民の方は一刻も早い入国を求めておられ、適切かつ迅速な審査を求めました。

  IMG_2743.jpg今日から新しい参院議員の任期が始まります。返り咲きを果たした仁比さんも登院してきて、早速、議員団控室でガッツポーズ。仁比さんは、午後に開かれた議員団会議に参加して挨拶。再選を果たしながらコロナ陽性で療養してた山添さんも復帰し、当選の挨拶がありました。

 議員団会議の前に、核兵器禁止条約第一回締約国会議に参加した笠井亮さんによる報告会もありました。

 笠井さんが各国の代表や議員への要請等を行った際のリアルな会話など紹介があり世界の大きな流れとそれに反する日本政府の対応への国際的な批判、今後の展望と課題など詳しくお話がありました。

 IMG_2745.jpg笠井さんは8/1から国連で行われるNPT再検討会議にも参加されます。

 午前中は年に一度の人間ドック。代々木病院で9時から始まり、10時半過ぎに終了。

 

 DSC03497.JPG「全国高校生未来会議」でお話しました。例年は全国から国会に高校生が集まるのですが、今回はユーチューブで全国に配信する企画でした。
 議員会館の会場から9党の代表がそれぞれ「国家防衛と物価高騰についての政策と党の良さをプレゼンする」というもの。5分で演説し、3分間の質疑応答の後、記念撮影をしました。
 私は、軍事費2倍化ではなく九条を生かし、戦争にしないことに力を尽くす平和の外交を、賃金が上がる社会、消費税の引きさげ、教育予算の大幅引き上げで大学学費を半額にし本格的給付型奨学金をなどお話しました。高校生に響いたかな。
 軍事クーデーターを起こしたミャンマーの国軍が、「テロ行為」の実行を支援したとされた民主活動家4人を処刑したと明らかにしたというニュースが入ってきました。許しがたい暴挙です。日本政府はミャンマー国軍からの防衛省による留学生受け入れを中止し、軍政を厳しく非難すべきです。
 
 

 今日も国会で打ち合わせや資料整理などあれこれ。午後には、東海ブロックのあいさつ回りをしてから国会に来た武田りょうすけさんを議員室に訪ねました。議席を失うとすぐに退出しなくてはならず、さまざまな資料のかなりは処分せざるを得ません。本当に残念です。

 選挙戦の疲れも感じさせない元気な武田さんでしたが、労をねぎらい、グータッチしながら「頑張ろう」とエール交換しました。 

開発ジャーナル.jpg『国際開発ジャーナル』7月号の「国会議員の目」のコーナーにODAに関する私のインタビューが掲載されました。この中で述べたインドネシアとバングラディシュの石炭火力発電支援について、私も武田議員も国会質問で中止を求めていましたが、外務省は6月に中止を発表しました。
以下、記事を紹介します。
「ODA大綱の精神で本来の役割を」~住民合意、温暖化、ジェンダー対策も重要
◎疑問が大きい開発協力大綱
2015年、かつてのODA大綱に代わって開発協力大綱が閣議決定され、日本の外交政策に基づいた国益重視の支援が強調されるようになった。ODAの第一の目的は対象国の自律的発展や貧困・格差の解消であり、日本にとっての戦略的重要性などが強調されるのは本末転倒ではないか。ODAの国益重視は世界的な傾向だが、ODA大綱の精神に立ち戻り、ODA本来の役割を果たすべきだ。
 開発協力大綱では、従来認めていなかった軍籍を持つ組織との連携も可能になった。日本は、憲法第9条を持つ国として、平和主義に基づく支援を進める必要がある。ミャンマー支援は、一旦全部、洗い直しを行い、軍の利益になっているものは中止すべきだ。ウクライナ支援も、周辺国の支援も含めて人道支援を積極的に行うべきで、人道第一への転換が大事だ。
◎環境社会配慮の徹底図れ
 ODAの実施では、国際協力機構(JICA)などが定めている「環境社会配慮ガイドライン」に従った住民参加や住民合意も必要だ。事業が中止となったモザンビークでのプロサバンナ事業は、小規模農家が多い地域に大規模農業を持ち込むものだった。NGOの要請も受け、国会でも質問したが、小規模農家が土地を奪われ、むしろ貧困化するとの指摘もあった。反対する農民への弾圧や妨害もあったとされる。開発途上国では、政府が住民を代表していないことも多いので、その部分を徹底していくことも必要だ。
 バングラデシュのマタバリ火力発電所やインドネシアのインドラマユ火力発電所など、石炭火力発電所をめぐる問題でも住民合意の課題があるが、日本だけがいつまで石炭火力発電所の建設を支援するのかという問題も大きい。日本政府は新規の支援はしないとしたが、進行中の案件も見直すべきだ。
 国連のアントニオ・グテーレス事務総長は地球温暖化対策として、2040年までの石炭火力発電の廃止を求めている。インドラマユは2026年、マタバリは2028年の完成予定であり、要請に従えば最長10年余りしか稼働できない。収入が限られ、相手国に借金を残す。
◎ジェンダー案件で数値目標を
 ジェンダーの問題も重要だ。インド・デリーの高速鉄道案件で女性専用車両を導入するなど、日本政府も取り組んでいる。日本のODAはインフラ案件の比率が高く、教育・保健分野の比率が低い。その下で、広い意味でのジェンダー案件(Gender Informed (Significant)*)の支出額がODA支出総額に占める割合は、2018-2019年の経済協力開発機構(OECD)開発援助委員会(DAC)加盟国の平均が約45%なのに対し、2018年は64.8%だ(2019年は32.2%)。一方、ジェンダー平等を主目的にした案件(Gender Informed (Principal)*)の割合は、支出額の割合では、2019 年は0.8%でDAC平均の4%を下回り、しかも2011年の2.8%から減った。目標値を設定し、少なくともDAC平均の4%を目指すべきだ。
 参議院ODA特別委員会の海外調査では、教育などの支援に感謝を伝えられることもある。「日本も苦しいときに、なぜ海外か」という声もあるが、国際支援は世界の安定や日本への信頼となり、広い意味での日本の利益にもなる。

 

 16日目 静岡.jpg参院選16日目。京都を朝出て、静岡市内で比例カーから8か所で訴えました。今日は核兵器禁止条約が採択されてちょうど5年目。核兵器禁止条約に参加し核廃絶の先頭に立つ政府に変えるため、日本共産党と鈴木ちか候補への投票を呼びかけました。
 最後は静岡駅の地下通路で行われていた核兵器禁止条約への署名・参加を求める宣伝署名行動に合流してハンドマイクで訴え。
 静岡核禁署名.jpg同時に今日は七夕。街頭宣伝をした商店街にずらり並んでいた笹の葉に書かれていた願いを紹介し、「この願いが今の政治に届いていない。軍事費二倍化でなく、暮らしにこそ予算を。憲法生かした平和の外交で戦争の心配ない東アジアへ」と力を込めました。
 寺尾、杉本両市議にお世話になりました。終了後、東京へ。明日は朝出て石川、富山で訴えます。
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