活動日誌

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「外交安保・核廃絶」の記事

  IMG_2810.JPG富山駅前のホテルを朝出て、富山市(旧婦中町) 、立山町、上市町で街頭演説。今日は終日、富山2区で区内の9市町村すべてを回る「二区キャラバン」の予定でしたが、急遽、アフガニスタンへの自衛隊機派遣問題で、外交防衛委員会の理事懇が開かれることになり、午前だけの参加になりました。現地の皆さんスイマセン。
 黒部宇奈月温泉駅から12時半発の新幹線で東京に戻り、16時から理事懇。防衛、外務両省から自衛隊機派遣について説明をうけ、質疑応答をしました。
 IMG_2812.JPGすでに「最善との判断」(防衛相)で、英国軍機で大使館の日本人職員は退避をしたのに、自衛隊機の派遣を決めたことについてただすと、「情勢の急速の悪化のもとで、現地に出入りしている関係国の軍用機で退避したが、その後、米国がカブール空港の安全を確保した下で、大使館の現地人スタッフなどの退避も人道上必要と考え、派遣の判断をした」との答えでした。
 また、退避させるアフガン人は基本的に日本まで輸送し、受け入れのための各省庁によるチームも官邸につくったことも明らかにしました。
 IMG_2811.JPG衆参ともに野党は委員会の開催を要求。私は、「我々は戦争ではテロはなくせないとして反対した。経緯も含めて委員会で質疑する必要がある」求めました。
 21.8 浜松駅.jpg今日は東海ブロックの一斉宣伝。7:00から浜松駅前で平賀たかしげ静岡8区予定候補や労働者後援会の皆さんらと共に訴えました。
 「昨日の横浜市長選で野党が支援した山中竹春さんが当選しました。カジノ反対、菅政権ノーという厳しい審判であり、野党共闘の力です。さあ総選挙で野党連合政権を実現しましょう」――こういう日の訴えは実に気持ちいい。
 終了後、東京へ。政府がアフガニスタンの邦人等の国外退避のために自衛隊機を派遣する方針を決めたことに関して、午前中の自・立の国対で衆院安保、参院外防委員会の理事懇で報告・質疑をすることが合意され、その時間調整などでやり取り。25日の午後に開催の方向です。
  昨夜再放送された再放送のETV特集「日本の原爆開発〜未公開書簡が明かす仁科芳雄の軌跡〜」。物理学者の仁科芳雄が、戦争中、軍の予算でウラン研究をする中、原爆開発に巻き込まれていく姿を未公開書簡で明らかにしています。
 仁科は、被爆直後の広島に入り、科学がもたらした惨禍に衝撃を受けます。戦後は日本学術会議の初代副会長になり科学が戦争に加担してはならないと訴えました。
 軍の予算で研究をすると何をもたらすか、今日の日本学術会議と軍事研究の問題の原点ともいえる経緯が浮き彫りになります。
 Nスペ.jpg「NHKスペシャル 原爆初動調査 隠された真実」をNHK+で観ました。最近明らかになった資料や映像、証言を積み重ね、真相に迫っています。
 被爆直後の広島・長崎で、アメリカ軍によって「原爆の被害と効果」に関する大規模な調査が行われました。調査では、被爆地に残る放射線・残留放射線が計測され、科学者たちは「人体への影響」の可能性を指摘していました。しかし、「トップシークレット」として、その事実は隠蔽されることになりました。
 「残虐な人道兵器」として国際法違反に問われることを恐れて「調査結果は忘れろ,破棄せよ」と命じられたのです。秘密扱いの報告書や、調査に参加した兵士や調査員の手帳やカメラなどにその悲惨さが残されていることを次々と明らかにします。
 当時、残留放射能の影響だという事実が明らかにされていれば助かった命もあるかもしれません。妹を失った長崎の女性が、隠ぺいの事実を知り「人として見ていない」「実験みたいにしている」と語ったのが印象的でした。
 日米政府は残留放射能の影響をこれまで認めてきませんでしたが、それを覆すもの。番組の最後では、「黒い雨」訴訟や福島原発事故についても取り上げ、残留放射能の問題が今日に問われていることも明らかにしています。
 IMG_2738.JPG長崎の被爆76年目の今日は、午前中は「原水爆禁止2021年世界大会-ナガサキデー集会」にオンラインで参加。安斎先生による主催者報告の中で、米国の当初の投下計画のトップは京都市であり、現在は鉄道博物館(写真)になっている梅小路蒸気機関車の円形車庫が投下目標だったと紹介されました。
 
海外からの発言も続き、メキシコ政府を代表してあいさつしたメルバ・プリーア大使が核兵器禁止条約実現で被爆者の証言が果たした役割を強調されたことが印象的でした。
 原爆が投下された11:02に黙とう。大会中でしたが、平和祈念式典の市長による挨拶や被爆者代表による「平和への誓い」はテレビで見ました。当時看護学生で救護被爆した92歳の岡信子さんがのべた直後の長崎の惨状と、「命ある限り核兵器廃絶と平和を訴えていく」との決意に胸が熱くなりました。
 
 21キャンドル.jpg夜は七時から八時まで、京都の三条大橋で原爆や核の犠牲者を追悼するキャンドルビジルに参加しました。台風の影響で時折強い風の吹く鴨川の橋にキャンドルをもって立ち、一時間、静かな祈りを捧げました。国連本部で買った「戦争から平和へ」のTシャツで参加。
21.8.6 献花.jpg 核兵器禁止条約が発効して初めての8月6日。国際社会を動かした被爆者の訴えと世論は、「黒い雨」訴訟の上告断念、被爆建物・旧陸軍被服支廠の全棟保存への転換の流れも作りました。この流れをさらに強め、禁止条約を批准する政府の実現を――被爆二世として核兵器廃絶を誓い込めて原爆死没者慰霊碑に献花。
 21.8国泰寺.jpg続いて、母校、国泰寺高校にある広島一中死没者追悼の碑前でも誓いました。今年もコロナの関係で平和記念式典は参加制限があり、ホテルに戻って視聴。小6の男女による「平和の誓い」で「私たちには使命があります」と切り出し、被爆者の思いを受け継ぎ、世界と次の世代に広げることを誓ったことに感動しました。
 ところがその後の菅総理の挨拶では核兵器禁止条約に触れず、重要な文言を読み飛ばして意味が通じないものに。事前にまともに読んでもいなかったのでしょう。強い憤りを感じました。
 その後は、原水爆禁止世界大会ノヒロシマデー集会にオンラインで参加。京都に変える前に、初めて袋町小学校の平和資料館を始めてみました。被爆直後から救護所として利用された西校舎の壁面に被爆者の消息等を知らせる「伝言」が数多く記されています。資料館では「伝言」を含め、貴重な被爆資料や当時の学校の様子を紹介しています。
 image0.jpeg東京を朝出て広島へ。16時から広島県被団協の事務所で被団協役員、「黒い雨」訴訟の原告団の皆さんと懇談しました。高野原告団長らから、上告断念をかちとって八月六日を迎えることができることの喜びが口々に語られました。 
 
 政府の被爆者行政を厳しく断罪し、内部被ばくの可能性を広く認めたに高裁判決が上告断念より確定した意義も強調され、今後原告以外の同様の被害者全員への被爆者手帳の交付を確実に行わせるために国や県市への働きかけを強めることなど意見を交わしました。国会から笠井衆院議員と私が参加し、大平前衆院議員、仁比前参院議員、すみより、大西、藤本衆院予定候補、辻県議、近松広島市議とご一緒でした。
 懇談会場に向かっていると、「井上君」と声がかかり、なんと高校のクラスメートのOさん。ビックリです。平和公園を歩きながら、ミニ同窓会ができました。
 懇談後にスマホでニュースを確認すると今日の東京のコロナ新規感染者は初の五千人越え。まともな対策を打ち出さないままに五輪に固執し、入院制限を打ち出した菅政権は許されません。
IMG_0372-1.jpg政府が、6日に開催する「日メコン外相会議」に、ミャンマー国軍が任命した「外相」を出席させようとしていることで「ミャンマーの民主化を支援す議員連盟」(中川正春会長)で緊急に外務省に申し入れ。小池書記局長と共に参加しました。
 日本が議長国として主催する会議に国軍代表を参加させることは衆参の本会議で全会一致で採択した「ミャンマーにおける軍事クーデターを非難し、民主的な政治体制の早期回復を求める決議」にも反するものです。
 外務省の部長は、軍事クーデターを認めず、拘束者の解放や民主体制への復帰を求める政府の立場に変わりわないと述べましたが、「出席させれば、国際社会にも、ミャンマー国民にも、日本が軍政を承認したと理解されることになる」『国軍のPRに使われる」として、撤回を要求。衆参決議にもとづく真摯な対応と行動を求めました。
 午前中は衆院厚労委員会の閉中審査を院内テレビで視聴。コロナ要請者の入院制限に与野党超えて批判の声が上がりました。夜は党創立99周年記念講演会。オンラインで志位委員長の講演を聞きました。
 ちさかオンライン1.jpg日本共産党京都左京地区のオンライン企画「日本共産党は日本外交をどう変える?」でちさか拓晃京都二区予定候補と共に一時間半たっぷり語り合いました。
 お互いの入党の動機になった平和の問題から、中国をどう見る、共産主義の未来、野党共闘の展望と課題、核兵器禁止条約に参加する政府実現への決意などなど。
ちさかオンライン2.jpgぜひご覧あれ。
 
 今日、新型コロナの新規感染者は東京で4058人、全国で12341人となり、四日連続で過去最多を更新しました。まさに爆発的拡大です。東京の自宅療養者は1万人を超え、医療崩壊が現実のものに。このままでは助かる命も助けられなくなります。
 
 にもかかわらず危機感がないのが菅総理。いまからでも五輪中止を決断し、コロナ対策に全力集中を!
大洲市.jpg京都を朝出て愛媛県大洲市へ。伊丹から松山空港へ降り、さらに車で1時間。8/29告示の市議選挙と総選挙の勝利をめざす演説会で訴えました。
 現職の梅木かづえ市議、白川よう子衆院比例候補に続いてお話し。まずは、コロナ新規感染の全国的、爆発的拡大に対して最も危機感がないのが菅総理だとして、五輪中止とコロナ対策への集中を求めました。
 日本共産党が提案する新しい日本の政治の中で触れたのが米軍による低空飛行訓練の問題。愛媛県では昨年の目撃情報が前年の3.6倍に急増しています。特に大洲市を含む南予地域に集中しており、「愛媛新聞」は、従来の米軍の訓練ルートである「オレンジルート」と違う新しいルートが作られたのではないかと報道しています。県議会や南予の五町議会では中止を求める意見書も採択されています。
 演説会の中での一言コーナーで、「低すぎて怖かった」「会話していて隣の人の声が聞こえないような爆音」「我が家は標高50メートルだが、その下を飛んで行った」などの住民の声も紹介されました。
 私は、三月の外交防衛委員会で大洲市の名前もあげて、この地域での米軍低空飛行訓練の中止を求めました。その際に、岸防衛相が「米軍は、安保条約の目的達成のために通常の飛行訓練を米軍の施設・区域でない場所の上空で行うことは認められている」「その区域を継続的に見直していると承知している」と答弁したことを紹介。
 「米軍が日本の空に勝手に訓練ルートに定めて飛行することを認めるもの。いったいどこの国の政府か。それで住民の安全を守ることができるのか」と指摘し、低空訓練中止、日米地位協定の抜本的改定の声を上げようと呼びかけました。
 愛媛県では、無所属の地方議員らの呼びかけによる「白川ようこを国会に送る愛媛勝手連」が結成されて支援の輪が広がり、四国の衆院議席17がすべて男性でいいのか、白川さんを押し上げようという声も高まっています。
 市議選での梅木議員の勝利、衆院比例で18年ぶりの日本共産党の議席の実現で、菅政権打倒、政権交代の流れを大洲市からと宇訴えました。終了後、京都へとんぼ返り。
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