西区から車と新幹線で長岡市へ。二期目をめざす遠藤れい子県議候補と共に駅前での第一声で訴えました。新潟では、国の原発回帰のもとで柏崎刈羽原発の再稼働が大きな争点。推進側は県議選後に一気に再稼働を進めようと狙っているだけに、57年ぶりに県議の複数議席実現で再稼働阻止をと訴えました。
鈴木候補と1ヵ所で街宣をして静岡駅へ。新幹線で三島まで移動し、車で約一時間で小山町に到着。後半戦の小山町議選勝利の演説会で訴えました。
3期12年務めた高畑博行議員が勇退され、新人の平野候補がバトンを受け継ぎます。平野さんは35年間役場に勤め、教育次長をされていましたが今月15日に退職され、16日に立候補を表明されました。
小山町は東富士演習場に隣接。先日の静岡東地区オスプレイ対策委員会の皆さんと防衛省に要請した内容も紹介しながら、「相手が国であれ、米国であれ住民の立場でダメなものはダメ」とはっきりものを言い、住民願い実現にはあきらめることなくとことん頑張る日本共産党の議員が必要ですとご支援を呼びかけました。
14時からの演説会の開会前に、東京で開かれている「若者フェスティバル」の参院選挙改革についてのパネルディスカッションに演説会場の控室からZOOMで参加。参院改革協議会のメンバーである各党の代表の皆さんと議論しました。
演説会終了後、東京へ。明日の午後は金曜日に続き予算委員会集中審議で質問に立つため原稿を仕上げます。16:30から21分間。NHK中継がありますので、TVの前で応援してください!
鳥取県は県と市町村の半々の負担で18歳までの医療費助成制度がありますが一部窓口負担があります。その完全無料化と子どもの国保均等割りゼロ、学校給食の無償化の「子育て三つのゼロ」
を大きく掲げています。
新幹線を岡山で乗り換え、特急やくもで米子へ。昼食は岡山名物の祭ずしを車内でいただきました。米子から鳥取への移動は福住候補、市谷県議と一緒にJRで約一時間。車窓から見る桜はすっかり満開です。
米子の隣の境港市は漫画家の水木しげるさんの出身地。米子駅には「ねずみ男駅」と書かれた自販機もありました。
終了後、米子空港へ。羽田から明日の静岡市長選第一声に備え、静岡駅前のホテルまで移動。到着は22時半。
北陸中日新聞が、県議の仕事として四年間の「質問」「意見書」「視察」を報じた特集記事が話題になっています。佐藤県議は質問回数も意見書の提案数もトップ。「海外視察」では一貫して参加していない佐藤議員のコメントの紹介もされています。「皆さんの願いを届け、地元紙も認める抜群の働きをしているのが佐藤さんです」と強調しました。
中座して新幹線で上越妙高まで移動し、県議選に無所属で立候補表明された弁護士の馬場さんと市内五か所での街頭演説をしました。寒い中、どこでもたくさん集まって下さいました。
私は、馬場さんの弁護士25年の知識と経験が県政に必要だと強調。「コロナ禍をへてもなお県立病院の統廃合計画を国と一体で県が進める中、医療・介護の削減でなく充実こそ必要と訴える馬場さんを押し上げて、知識と経験を県議会で存分に生かしてもらおう」と呼びかけ。
さらに県議定数五のうち自民党が三人を占めている上越市で野党議員の三人を実現し岸田政権がすすめる原発再稼働や大軍拡にノー声を示そうと呼びかけ、市民と野党の共闘のリーダーとして奮闘してきた馬場さんの勝利がカギだと強調。馬場さんの勝利は、市民と野党の共闘に全国的に逆流や困難も生じているもとで共闘を再構築していく流れをつくるためにも必要だとして、なんとしても押し上げてほしいと訴えました。
終了後、新幹線と特急を乗りついで京都へ。
佐久市では藤岡義英前県議と共に佐久平駅近くの公園で街頭演説会。芝生に座って日向ぼっこしながら聞いてくださる人も。藤岡さんが初当選したのが東日本大震災直後の選挙でした。藤岡さんも当時を振り返り、「このまま選挙戦を続けていいのか悩みながら被災者救援と一体で活動を続けた」と語られました。
私は藤岡さんが 震災直後から募金箱を持ちながら街頭活動を続け、当選後初の一般質問で災害問題を取り上げたこと、前回僅差で惜敗して以降も、県内の台風被害の現場にボランティアで駆け付けてきたことを紹介。「命と暮らしを守ることこそ政治の責任という信念を持って行動してきたのが藤岡さん。何としても押し上げて」と呼びかけました。
高村さんは介護士・ケアマネの経験を生かし、6期20年間、地域の医療を守り、安心して出産できる地域にするために奮闘してこられました。そのために、当時の長野病院や上田産院を一緒に訪問して院長先生と懇談し、厚労省にも直接要請したことを紹介しようと思っていたら、高村さんも私の前の挨拶で「井上さんにお世話になった」と紹介されました。
私は、「現場の実態と苦労を知っている高村さんの訴えが国の支援を引き出して上田医療センターの拡充につながり、産院の廃止計画も住民運動と結んで撤回させた。地域医療を守りよくするためになくてはならない議席です」と訴えました。
最後に「ここ上田市は、治安維持法に反対して殺害された山本宣治が最後の演説をした場所であり追悼碑もある。日本共産党への弾圧の後にやってきたのが戦争。反共の逆流を打ち破り日本共産党の躍進で平和の審判を下し、大軍拡にストップをかけよう」と訴えました。
物価高騰問題では政府の対策が電気・ガス料金の抑制など部分的・一時的なものだと指摘し、「すべてにかかっている消費税の減税こそ特効薬」と強調。社会保障や教育費の公的負担の軽減を直ちにやるべきとして、給付制奨学金の拡充や学校給食の無償化を求めました。
政府の原発推進への転換については、福島原発事故の反省を投げするものだと批判。安全審査等で停止中は運転期間から外して60年以上の運転を認めることに対しては、「停止中も劣化は進む。安全審査が長くかかった原発ほど運転期間が延長されることになる」と指摘し、原発ゼロと再エネ拡充を求めました。
いったん日本共産党の公認予定候補として発表しましたが、新潟県内の県議二人区でただ一つ自民党の独占を許している十日町・津南選挙区で、一つは市民と野党の共同の議席をとの機運が広がる中、無所属で出馬を決断。立憲民主党や社民党の支援を受け、市民と野党の共闘組織である「オール十日町・津南 平和と共生」の主催で決起集会の開催となりました。
終了後、出口で藤ノ木さんと並んで挨拶していると「日曜討論見ましたよ」「朝、NHKに出ていたのに、集会にも来られたびっくりした」とたくさんの方々から声を掛けられました。
越後湯沢駅から東京へ。スキー客でごった返しており、ネクタイしているのは私以外見かけませんでした。
函館市の演説会で訴えました。明朝はNHK日曜討論に出演するため、東京を午後に出てとんぼ返りとなりました。函館に行くのは「赤旗」記者をしていた時以来の30年ぶり。もちろん演説をするのは初めてです。
函館空港に着くと東京が四月並みの陽気だったこともありでひんやりと感じましたが、この一週間で雪はずいぶん溶けたとのこと。春が近づいています。政治にも春を!
道議には本間かつみ前市議、市議には市戸ゆたか、紺谷かつたか、とみやま悦子の三現職を何としても押し上げてと訴えました。移動中に明日の日曜討論の準備。自転車操業です。
県議には新人で石田和子県議の後を継ぐのずえ明美さん、市議には議員団長のむねた裕之さん、二期目をめざす小堀しょうこさんの3人をなんとても押し上げてと訴えました。街宣には日本共産党が推薦する県知事予定候補の岸牧子さんも駆けつけて訴えてくださいました。
浜松駅前のホテルを朝出て、午前中は名古屋市北区で、午後は岐阜市で統一地方選勝利を訴えました。北区では岡田ゆき子市議の勝利をめざす後援会の集い。岐阜市では、岐阜駅前で信長像を背にしての「あおぞら演説会」で、中川ゆう子県議、堀田信夫、井深正美、森下ますみ各市議と山越とおる市議予定候補の全員勝利を訴えました。
青空が広がり春の日差しですが、風が強く寒い一日となりましたが、たくさんの皆さんが参加してくださいました。ありがとうございます。
名古屋から岐阜に向かう途中、名古屋駅の新幹線口地下街「エスカ」で行われている「NO WAR ポスター展」に立ち寄りました。岐阜県大垣市にある「日本国際ポスター美術館」(https://www.ogaki-postermuseum-japan.com/)が、国内外のアーチストに呼びかけ各地で開催しているもの。世界の平和への思いが集まっています。27日までです。ぜひ、ご覧ください。
岐阜の街頭演説会が終わった後、女性後援会の皆さんと記念写真。並んで立った女性が「この人かわいいのよね~」と言ってくださるので「もう64歳になりました」と言うと、「あら私は85歳よ。かわいいわ」とご返事。「失礼しました。いつまでも追いつけずスンマセン」m(__)mと私。
終了後、京都へ。明日は川崎市です。
津市では、25歳の若さで挑む吉田あやか県議予定候補、滝勝弘前市議(市議補選予定候補)と共に街頭演説。四日市市では3期目をめざす山本りか県議、市議選予定候補の太田のり子市議、三浦ひでのり、村上さとる(以上新)さんらと共に3か所で街頭演説。
寒い一日でしたが、どこでも集まって下さり、声援をいただきました。
子育て支援で最も求められている教育費負担の軽減のために学費の半額化や給付制奨学金の大幅拡充、給食費の無償化こそすすめるべきと訴えました。
「三重をはじめ全国どこでも戦場になることを想定したもの。集団的自衛権行使で敵基地攻撃をした場合、反撃により『日本に大規模な被害が生じる可能性を否定できない』と浜田防衛相が答弁したのを裏付けるもの」と指摘し、大軍拡ストップを訴えました。
終了後、東京へ。




