活動日誌

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「災害・環境・地方自治」の記事

 IMG_2547.JPGフ~。拉致特と災害特で質問。2日で4回の質問というハードワークを終えました。災害特では、災害ゴミを集積所や仮置き場に運ぶことが車を失った被災者や高齢者に大きな負担だと指摘。熊本震災時のように家の前に出した災害ゴミを市や町が収集運搬する方法が国の補助金制度の対象となることを確認しました。
 家屋の公費解体について、解体前の家具の持ち出しが困難な場合はしなくてもよいことや部分解体が可能であることを確認。相続人全員の同意を得ることが困難で公費解体が遅れていることへの柔軟対応と、人的、実務的支援も求めました。
 拉致特では、ASEANに学びながら北東アジアでの外交戦略をもって日朝平壌宣言にもとづいた拉致を含む諸問題の解決についてただしました。
 午前中は本会議で農業基本法の質疑に紙議員が立ちました。衆院では政治改革特別委が開かれ各党の意見表明が行われました。参院では同委の理事懇談会が開かれ、来月10日に意見表明を行うことを決め、自由討議については筆頭間協議になりました。
 IMG_2533.JPG内閣委で経済秘密保護法と日本学術会議問題で質問しました。前回に続いて、軍事転用の可能性を持った科学・技術の情報を秘密指定を拡大して米国の情報保全制度と同等性を確保することにより、武器の共同開発を推進するものだと指摘しました。
 さらに、政府が学術会議の法人化方針を打ち出し、有識者懇談会で検討を進めている問題について質問しました。
 政府方針に対し学術会議が懸念を示し、今後の在り方について満たされるべき五点を明らかにしていることを紹介。昨年の予算委での岸田総理の「期限ありきではなく、学術会議と意思疎通を図りながら検討を進める」を踏まえるよう求めました。内閣府の笹川室長は、総理答弁通り進めていくと答えました。期限ありきで進めさせてはなりません。
 ミナマタ.jpg午後には「ノーモア・ミナマタ第二次新潟訴訟」の原告団・弁護団の皆さんらが来訪され懇談。地裁判決は国の責任を認めなかったものの、26人を水俣病と認め、現在の認定制度では救済されない水俣病被害者がいまだに多数存在することを大阪・熊本地裁判決に続いて浮きぼりにしました。
 新潟の原告169人のうち既に31人が亡くなっており、平均年齢も71歳を超えています。国と被告企業は全被害者を救済しうる新たな制度を作るべきです。
 能登町.jpg参院災害対策特別委員会の委員派遣で能登地震の被災地である珠洲市、能登町を訪問しました。
 羽田からのと里山空港へ。空港には支援者用の宿泊施設が建てられ、隣接した日本航空学園の学生寮や施設も応援職員等の宿泊施設になっていました。
 空港からバスで能登町へ。副町長さんの案内で、地震、津波、火災の被害が襲った白丸地区を歩いて視察。亡くなった方のお宅に全員で黙礼を捧げました。津波被害で一階が壊れた住宅が多数ですが、瓦礫はまだそのまま。様々な困難があり公費解体はまだ3軒とのこと。一層の支援強化が必要です。
 能登町2.jpg続いて珠洲市総合病院へ。院長先生から、発災以来のご苦労と課題をお聞きしました。被害により退職した看護師も少なくなく、今後避難者が戻ってくる時の受け皿が困難になることへの対策や経営困難への支援の要請などありました。
 終了後、上下水道の復旧支援を視察。破損した下水道の仮圧送管の工事について、応援派遣されている名古屋市上下水道局の職員から話を聞きました。その後、最大4mの津波があり大きな被害を受けた飯田港や災害廃棄物の仮置き場を視察。移動の途中、多くの倒壊住宅がそのままの状態でした。
 能登町3.jpg最後に珠洲市役所で泉谷市長、刀祢珠洲商工会議所会頭、石巻のNPOの阿部代表らと意見交換会。市長から、建物の解体・撤去を迅速に進めるための支援、災害公営住宅に対する財政措置の嵩上げ、農地、漁港の迅速な復旧などの要望書を受け取りました。
 15時半ごろに終えて、バスで約三時間かけて富山県の新高岡駅へ。新高岡から東京へは三時間弱。東京着は22時過ぎです。視察でお聞きした要望を今後の取り組みに生かしていきます。

 IMG_2401.JPG石川県の馳浩知事が田村智子委員長事務所を訪れ、能登半島地震に関する「要望書」を手渡して懇談。私も同席しました。

 馳知事はこの間の共産党の取り組みに謝意を示し、仮設住宅への入居状況や、倒壊した家屋の解体・撤去作業の見通しなどを報告し、5月中にも県の「復興プラン(仮称)」を取りまとめたいとされました。

 田村氏は、「超党派はもちろん、国を挙げて復興・復旧を支援していかなければならない」と発言。「自宅で暮らす方への食料配布が止まるなど、悲痛な声が寄せられている」として、「復興に向けた街づくりと同時に、取り残されている被災者に『生きることを支えていくよ』というメッセージを伝えていくことが求められている」と強調しました。

IMG_4786.jpg 私は「故郷に帰りたいと思っているみなさんが戻れる条件を整えることが何よりも優先されるべきだ」と伝えました。

 午前中は内閣府から共生社会の実現と同姓パートナーの権利保障についてヒアリング。その後、明日の内閣委員会の質問を仕上げて通告。夕方は議員団会議でした。

 国会周辺の桜も満開。お昼に、散策しました。

 24.4.1.jpg能登半島地震発災から3か月の今日、党国会議員団は対策本部会合を開催。現地の「被災者共同支援センター」の責任者の藤野保史前衆院議員から報告を受け、国会での質問や視察について交流しました。
 依然として避難所の劣悪な状況が続いているのに、人的支援が縮小され、下水が復旧できないために上水道が通っても水が使えず、それでも給水所が縮小されている。自立の条件が作れなてないのに、知事は「自立」を強調するばかり。被災者のいまの命を支え、希望を示す支援こそ必要です。
 
 決算委員会の総括質疑を応援傍聴。吉良よし子議員が裏金問題と子どもの意見表明権について岸田総理をただしました。
 24.3.30伏木駅.jpg高岡駅前のホテルを出発して午前中は高瀬あつ子前市議の案内で能登半島地震で大きな液状化被害のあった伏木地区でお声を聴いて回りました。伏木駅前で隣の氷見市の穴倉陽子市議から震災対策についての要望書をいただきました。
 国は3/22の震災対策本部会議で、エリア一体の液状化対策について国の補助率を2分の1に引上げると共に、液状化で傾斜した住宅の補修に、最大120万円の補助となる既存の液状化防止対策の制度を使えることを明らかにしました。富山県も27日の会議で国の新しい対応を確認していますが、肝心の被災者の皆さんには十分に伝わっていませんでした。
 中には、今月初めに「最大120万円の液状化防止対策補助を使いたい」と市に申請したら、「これは防止対策なので被害の修繕には使えません」と断られ、あきらめたという人も。「使えるようになりました」と速やかに被災者に連絡すべきですが、後手後手だと感じました。様々な不安やご意見を伺いました。今後、政府に求めていきます。
 24.3.30魚津市.jpgその後、鉄道移動で魚津市へ。駅前の食堂に入ると女将さんが、議員バッチを見て「あら県会議員の方が来てくださった」と言われたので「国会議員です」といって名刺を渡しました。すると「国会議員が来るなんて初めて」とお客さんに「この人、国会議員ですよ」と声をかけられたのでびっくり。お客さんにも名刺を渡し、「今日は来月の市議選で共産党の岡田さんの応援の演説会に来たんです」というと、ある男性客が「岡田さんはいい人や」と言ってくださいました。「よろしくお願いします」と握手をしてお店を出ました。
 演説会では、泉野和之衆院2区予定候補、岡田たつろう市議予定候補(現・3期)から訴えの後、私がお話。地元地域では、自民党衆院議員の秘書だった新人候補が、自民党県議の案内で「国、県との太いパイプがある」と挨拶周りをしています。私は裏金への国民の怒りを示し「こんな時に裏金自民党とのパイプを自慢するなんて。今必要なのは住民との太いパイプだ」と強調。
 自民党が来週にも裏金議員への処分を行って幕引きを図ろうとしていることに触れ、「その直後にたたかわれる市議選。幕引き許さず、真相徹底解明、金で動く政治を終わりにする声をこぞって日本共産党、岡田さんへ」と呼びかけました。終了後、京都へ。新幹線の敦賀延伸後、初めての利用でした。

 午前中は先週金曜日の政府の能登半島地震復旧・復興支援本部で決められた液状化被害と医療・高齢者施設への支援強化について政府から聞き取り。自治体が宅地や隣接する道路などを一体として液状化対策をする場合の国の補助率を4分の1から2分の1に引き上げます。

 被災者が液状化で傾斜した住宅の修復を行う費用は、最大120万円補助するこれまでの住宅耐震支援の制度を活用できることを明確にしました。面的な液状化対策は地域での合意に一定の時間がかかることもあり、傾いた住宅のジャッキアップなどの対策を個別に進められる支援策を予算委で求め来ました。それに沿うものではありますが、120万円をおおきくうわまわるケースも聞いており、さらに拡充が必要です。

 39108.jpg午後には韓国の元徴用工訴訟の原告・遺族、弁護団の皆さんと小池書記局長とともに懇談。16時過ぎから予算委集中質疑の紙智子議員の質問を応援傍聴。その後、参院の四党の国対委員長会談。予算委最終盤の対応や政倫審について協議しました。続いて議員団会議でした。

 

426807376_1452247705703496_3607517233832332417_n.jpg「能登半島地震からもうすぐ3か月――被災地のいま。私たちにできること」と題してお話と質疑で2時間たっぷり。午後に名古屋市内で開かれた民青愛知県委員会の新歓企画です。「これだけの被害は防げなかったのか」「災害対策でのジェンダー平等は」「なぜ危険な原発を推進するのか」など嬉しい質問攻めでした。
 午前中は京都弁護士会と日本共産党京都府委員会との意見交換会。毎年開かれてきましたが、今年のテーマは、①特定商取引法の見直し②オンライン接見③廃棄物問題。吉田誠司会長の挨拶の後、3つのテーマについて弁護士会から報告をうけて意見交換しました。
 穀田衆院議員、倉林参院議員、井坂京都1区予定候補、府・市議の皆さんと共に参加。弁護士の皆さんや各議員が受けている事例や、議会での取り組みなど具体的に交流や意見交換ができ、とても充実した2時間でした。
 IMG_4766.jpg学校に通う障害を持つ子どもたちの「放課後デイサービス」について内閣委員会の予算委嘱審査で加藤鮎子子ども政策担当相に質問しました。
 ちょうど一年前にもこのテーマで質問。当時の小倉大臣からは、放課後デイの価値が「遊び、生活、集団・仲間」にあることを認める答弁がありました。加藤大臣からも「小倉大臣と同じ認識」との答弁を引き出せました。
 一年前の質問では保育士の専門性を評価し報酬に位置付けるよう求めましたが、四月からの報酬改定で「専門的支援員加算の対象とした」との答弁。放課後デイの皆さんの願いが届きました。さらに、より専門性を高め、質の高い支援を行うためには安定した雇用と事業所運営が必要だとして、現行の日払い方式の報酬制度の見直しを求めました。
 朝開かれた政府の「能登半島地震復旧・復興支援本部」で液状化被害に対する支援策の強化が決まりました。自治体の行う対策への補助率の引き上げと、液状化で傾斜した住宅の修復の費用を最大120万円補助するなどの内容。この間、質問で求めてきた復旧支援策の強化が盛り込まれました。詳しい内容は週明けの月曜日に政府レクで聞きます。
 内閣部会で3つの法案について対応を議論して決めました。
 全退教.jpg朝の国対の後、10:30から障害を持つ子どもたちの放課後デイサービスついて「放課後連」の皆さんからヒアリング。12:30から内閣委員会の理事懇。22日に予算の委嘱審査を行うことを決めました。
 13時から全国退職教職員の会の皆さんの「ボイスアクションはがき提出行動」に参加して挨拶。「教え子を再び戦場に送るな」と退職後も奮闘されている教職員の皆さんが平和への思いを込めて書いたハガキが4083枚、政府に提出されました。京都の皆さんとパチリ。
 24.3.19国交省.jpg続いて、今月末が期限の能登半島地震のポランティアの皆さんの高速道路の無料措置の延長を求めて藤野前衆院議員と共に要請しました。国土交通省は東日本大震災では2年間、熊本地震では2年半無料が続いたことを示し「県が高速道路会社に要請すれば国として速やかに対応する」との回答。
 ボランティアはこれから本格化します。支援が必要です。がけ崩れなどの二次被害について梅雨入りする前にしっかり対策を行うことも求めました。
 15:30からは放課後デイサービスの報酬改定等について子ども家庭庁からレク。その後、予算委員会の岩渕委員の質問を傍聴。能登半島地震を受けて、地震大国日本に安全な原発はないと政府に廃炉を迫りました。
 明日の御前崎市議選の村松晴久予定候補の事務所開きのために、掛川駅近くで前泊です。
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